#8-1 再会
「よ。 リック」
不意に背後から肩を叩かれた。
反射的に振り返る。
「おぉー、タケシ!? 久しぶり」
「アリスが来たって?」
「どうして、それを?」
「さっき、駅でばったり」
「あぁ、それで」
「赤い顔してるから、 『どうした?』 って聞いたら。 『ココで飲んだ』 ってな」
「あぁ、一杯だけな」
悪友の “田原武(たはら・たけし)” だ。
というより “アリスの親父” と言った方がいいか。
久しぶりに来てくれた。
「アリスはいい子だ」
「もちろん!! なんせこの俺の子だからな、この俺の。 ワハハハハ」
それが信じられない。
どうすればこんなスケベな中年男から、あんないい子が生まれるのか。
一度 “DNA鑑定” してみたいものだ。
もっとも、顔立ちは似てなくも無いが。
「でも、変だな」
「何が?」
「アリスがココ出たのは7時半頃だ。 もう11時近い。 駅からココまでそんなに遠かったかな」
「あぁ、そういう事か。 来る途中電話が入ってな、一ヶ所寄ってから又来たって訳だ」
「だろうな。 でなきゃな」
「ところで頼みがあるんだがなぁ、リック。 聞いてくれるか?」
「どんな?」
「今、外に連れを待たせてある。 いいか呼んでも」
「ウチの客か?」
「否(いや)、俺の知り合いだ」
「ウチは一見(いちげん)お断りだ」
「分かってる。 でも、紹介ならOKだろ。 な、紹介なら」
「あぁ」
「俺の紹介だ。 この俺の」
「何人だ?」
「2人」
「身元は確かか」
「あぁ、保証する。 取引会社の社長夫妻だ」
「チャンとした会社か? なんせオタクの会社はチト怪しいからな」
「おぃおぃ、人聞きの悪い事言うなょ。 チャンとした会社だょ、ウチは」
「じゃ、そのチャンとした会社の取引会社ってのは」
「印刷会社。 社員500人の株式会社。 印刷会社で500人はチョッとした規模だぞ」
「・・・」
ここで少々、勿体(もったい)を付ける。
一見(いちげん)お断りなのに直ぐOKはチト拙(まず)い。
いかに武の頼みでもだ。
武はといえば、顔を強張(こわば)らせ、緊張した面持ちでコッチの目をジッと覗き込んでいる。
瞬(まばた)き一つしない。
ま!?
あんまり気を持たすのも酷(こく)か?
答えは決まっているのに・・・
「良し!! 会ってみよう」
「サンキュー。 それでこそリックだ。 チョッと待っててな、今呼んで来る」
タケシが連れを呼びに行ってる間に、ケンを呼ぶ。
事情を耳打ち。
その時、タケシが連れを連れて入って来た。
その連れの一人を見て、
『ハッ!?』
っと息を呑んだ。
それは・・・
昔・・・
出会った事のある女だった。
#8-2 その女その名は・・・
「この店のオーナーのリチャード・古井。 古い付き合いです」
「こちらが、麻倉さんご夫妻」
タケシが双方を紹介する。
下手な洒落を交えて。
「初めまして。 良かったら、フルネームを」
「あ、はい。 私が麻倉修。 妻の雪子です」
ゆきこ!?
やはりそうだ。
間違いない。
「お二人とも、ようこそ。 こちらのテーブルへ」
「有難うございます。 中々いいお店ですね」
と、亭主。
女房は、ジッと黙ったままうつむいて静かに座る。
俺が誰か分かったようだ。
あれは17年前だったな、確か。
−−−☆−−−☆−−−☆−−−
俺は高校3年生になったばかりだった。
高校へはいつもバスだ。
ある日、いつもより一台遅いバスに乗った。
そのバスに乗るのは初めてだった。
知ってる顔は乗っていなかった。
席が空いていたので座る事が出来た。
そして、
座席に腰掛けて顔を上げた瞬間だった。
俺の全身に衝撃が走ったのは。
真ん前に、目もくらむ程綺麗な女子高生が座っていたのだ。
『こ、こんな綺麗な女がいるのか!?』
フゥ〜。
思わず、ため息が出た。
今でもその時のことは良く覚えている。
卵形の顔。
髪はショート。
目はパッチリと大きく。
筋の通った高い鼻。
チョッと肉厚だが上品な唇。
そして、
何よりも、ぬける様な白い肌。
呆然と見つめてしまった。
が、
ハッとなって目をそむけた。
一瞬、目が合いそうだったからだ。
その娘が俺の視線を感じ取ったのは間違いなかった。
焦った俺はどうしていいか分からず、不自然にならないように静かに目をつぶり寝たふりをした。
『流れは自然だったょな』
その時はそう思った。
が、
今思えば俺の動きは完全に読まれていたに違いない。
もっと彼女の顔を見たいのを我慢して、その日は何事も無かったような素振りでバスを降りた。
次の日、又同じバスに乗った。
今度は座れなかった。
だが、彼女は乗っていた。
幸運にもその日も知ってる顔は無かった。
気付かれないようにチョッと離れて様子を伺った。
クラスメートと一緒らしかった。
話し声が聞こえる。
その子は声も綺麗だった。
澄んだ良く通る声をしていた。
聞いていて分かった事は、ウチの近くの女子高の2年生で部活は体操部らしい。
道理でスタイルがいい筈だ。
グラマーではなかったが、プロポーションは抜群だった。
そして一番知りたっかた事。
即ち、恋人。
そぅ、恋人。
それはいなさそうな感じだった。
それが何より嬉しかった。
“立てば芍薬(しゃくやく)、座れば牡丹(ぼたん)、歩く姿はゆりの花”
という言葉があるが、現代っ子だからコレに一言加えて “走る姿はカモシカ” か。
などと思ったりしてみた。
その時だ!!
そのうちの一人が、こう言った。
「ゆきこ、今日暇?」
「うぅん、今日は部活。 何で?」
「うん、もし暇だったらショッピング付き合ってもらおうと思って。 でもいいゃ、部活じゃね」
「うん。 ごめん」
「いいょいいょ。 代わり探すから」
そうか、あの子は “ゆきこ” って言うのか。
苗字はなんていうのかな?
これがその日一番の収穫だった。
そぅ。
その女はその名を、
“ゆきこ”
と言った。
#8-3 玄龍斎先生のお帰りだい
「やぁ、大将。 邪魔したね」
不意に背後から声が掛かった。
奥村玄龍斎の声だ。
「お帰りですか?」
「時間になったからね」
「え!?」
急いで腕時計を見る。
針は11時を指している。
もうこんな時間か!?
あぁ、そうだったな、タケシがうちに来たのが11時チョッと前だったからな。
フッ。
思わぬ再会で、俺も多少動揺しているようだ。
タケシ達に軽く一礼してテーブルから離れる。
「又のお越しを」
「あぁ。 ご馳走様」
会計を済ませ、立ち去ろうとする奥村玄龍斎。
その後を追うようにトミーとキリコが来る。
「ウチらもかえるゎ」
と、トミー。
「チョッと早いんじゃ?」
と、聞いてみる。
すかさずキリコが。
「なんかさぁ、今夜の玄龍斎先生の話聞いたらチョッとねぇ。 だから帰るゎ、アタシ達も。 じゃね、リック」
「あぁ、キリコ」
「アディユー、リッキー」
「アディユー、トミー」
二人を見送る。
ここで普段なら、別のテーブルに移動するところだ。
が、
戻った。
女が気になるからだ。
「今の3人・・・?」
いいタイミングでタケシが聞いた。
お陰で会話がすんなり進行する。
「あぁ。 一人はこの間紹介したな、奥村玄龍斎先生。 後の二人は、トミー、いやトーマス・ホンダとトヨタ・キリコ。 常連だょ」
「さっきアリスが褒めてたぞ、玄龍斎先生」
「何て?」
「『玄龍斎先生って凄いょ〜。 アタシの考え見抜いっちゃったんだょ。 ・・・』 とか何とか」
「らしいな」
「今度、俺も見てもらうとするか。 ワハハハハ」
「見てくれたらな。 じゃ、チョッと失礼する」
向きを変えて、
「お二人とも、どうぞごゆっくり」
「楽しませてもらいます」
と、亭主。
チラッと女房に一瞥。
黙ってうつむいている。
しかし、全身の神経は俺に集中している。
それが良く分かった。
あの時とは全く逆だな。
“時は、人を変える”
それを実感した・・・
瞬間だった。
#8-4 止まった時間
『あの時の俺は、まだ子供だった』
今の今まで、完全に忘れ去っていた過去の記憶が甦って来た。
そぅ。
次に、彼女と出会ったのもバスの中だった。
偶然というのは恐ろしい。
それとも運命のいたずらなのか。
“ゆきこ” という名を知ったその日の帰りのバスだ。
学校の位置関係から彼女が乗るのは、俺の乗るバス停の一つ前だろうと思う。
行きと違い、帰りのバスは比較的空いていて余裕で座れる。
俺は大学受験が気になり、すっかり彼女のことは忘れていた。
座席に座って顔を上げた。
その瞬間、
『ハッ!?』
驚いた。
目の前に彼女が座っていたのだ。
バスや電車には不思議と席が空いているのに座らない人がいるものだ。
この時もそういう人の丁度陰になって、彼女に気が付かなかった。
本を読んでいた。
静かに目を走らせている。
うつむき加減で本を読む姿は、さしづめルノアールやミレーの絵画に出てきそうな程、優雅だった。
俺はただただジッと彼女の美しさに見とれていた。
溜め息が出そうだった。
だが、
突然、彼女が顔を上げた。
慌てて顔を背けたが間に合わなかった。
一瞬、目が合った。
今度は彼女が視線をそらさない。
ジッと見つめる彼女。
怖くてどうしていいか分からない俺。
心臓はバクバクだ。
顔を背けた状態では “得意の” 寝たフリも不自然で出来ない。
窓から外の景色を見る “フリ” が、その時出来た精一杯の演技だった。
そんな状況が10分位続いただろうか、やっと俺の降りるバス停に付いた。
その間、ズーッと彼女の視線を感じ続けていた。
地獄の10分。
そぅ、まさに地獄の10分間だった。
『女は美しいというただそれだけで、男を殺せる』
そう確信させられた10分間でもあった。
降り際にチラッと彼女を見た。
まさかもう見てはいないだろうと思った。
だが、次の瞬間。
俺はバスを駆け降りていた。
彼女がまだ俺を見つめていたからだ。
次の日からはいつものバスで登校した。
チョッと残念だが、これでもう彼女に会わなくて済むな。
そう思うと不思議と安心した。
そして一週間が過ぎた。
彼女の事はもう忘れていた。
そんなある朝。
いつものバスに乗った。
機械に通した定期を手に取って顔を上げた瞬間・・・時間が止まった。
目の前に・・・
俺の目をジッと見つめたまま、目をそらそうとしない彼女が・・・
立っていた。
#8-5 幻想
“蛇に睨まれたカエル”
この言葉の意味がハッキリ分かった瞬間だった。
こんな事を言うと笑っちゃうんだが、
『もう、ダメだ!!』
これが、その時の俺の素直な心境だった。
だが幸か不幸か、後から乗ってきた人が軽く俺の背中を突いた。
否、
突いてくれた。
チャンス!!
いかにも突き飛ばされましたと言わんばかりに、俺は後部座席に向かって進んだ。
得意の演技だ、いつものような。
大げさな言い方だが、こうして俺は難を逃れた。
しかし、
これ以後、こんな感じで俺はいつも彼女の視線を避け続ける羽目になってしまった。
というのも毎日とまでは言わないが、コレが週のうち最低3回は起こるようになったからだ。
彼女の予想外の積極性に俺はタジタジ。
成す術なく逃げ回る。
それがお約束の日課になってしまった。
だが、
こんな馬鹿な事をやっていればいつかは噂になる。
なって当然だ。
と、すれば・・・
『彼女の友達と思われる女達の視線がキツイ』
という結果が、容赦なく俺を襲う。
つまり、バスに彼女がいない時はコイツらだった。
俺を指差してこんな事をほざきやがる。
「あ、あの人ょ、あの人。 ほら、雪子の・・・」
「でも、シカトしてるんでしょ」
「雪子、可哀想。 ズーッと無視されて」
「どこがいいのかしらね、あんなの。 確かに、見たぶりはそんな悪くないヶど」
「でも、あの無視の仕方はねー。 あれは無いわね」
「男としてチョッとね」
などなど。
全くもって言いたい放題だ。
もっとも言われても仕方がなかったのも事実ではあった。
無視し続けたとはいえ、俺が彼女に気があるのはミエミエだった筈だからだ。
精一杯そうは見せないように “得意の演技” はしていたつもりだったのだが。
そぅ。
精一杯、得意の演技は・・・
そしてこんなことが1年も続いた。
1年もだ!!
しかし、彼女は俺を嫌わない。
たったの2回目が合った、ただそれだけで。
彼女は俺を、俺は彼女を、愛してしまった。
たったの2回目が合っただけで・・・だ。
だが、自分で言うのもなんだが。
純情というかウブというか。
俺は彼女の気持ちを受け止める事が出来なかった。
ナゼか?
その理由はたったの一つ。
これだ!!
『怖かった!!』
そぅ、怖くて怖くて。
俺はもう、二度と彼女の目を見ることが出来なくなっていたのだ。
そして俺は卒業した。
そのまま大学へ進み、1年近く経った。
しかし、俺の心の中ではいつまでも彼女は恋人だった。
彼女と出会ってからの2年間、俺の心の中で俺達は相思相愛の恋人同士だった。
不謹慎な話だが、大学で “いわゆる彼女” が出来た後も俺の恋人は彼女だけだった。
俺の恋人は彼女を置いて他にはいなかったのだ。
当然、
精神的に未熟だった俺にとって、彼女が俺以外の男と付き合う事など有り得ない事だった。
彼女の恋人は他の誰でもない、この俺だけの筈なのだから・・・
しかし、
恋人宣言もしていない。
否、それどころか、一言も口を利(き)いた事もなく無視し続けた女が恋人?
しかも高校卒業以来一度も会った事もないのに・・・
世の中、そんな好都合な話がある訳がない。
そんな事は子供でも分かる。
だからそんな思いは、
“全く幼く幼稚な幻想”
だ。
だが、その時の俺にはそれが分からなかった。
当時の俺の知能はその程度だったのだ。
しかし、
『幻想は幻想であって幻想に過ぎない』
こんな子供騙しのような話はいつか壊れる。
そしてそのいつかが・・・
終にやって来た。