外道外伝 “妖女(あやしめ)” 第一部 「呪符術死闘編」



はじまりはじまりーーー!!!



パチパチパチパチパチーーー!!!



#1 『炭焼き小屋』の巻



これからお話申し上げる物語は、ある真夏の夜の出来事でございます・・・


ここは、日本の人里離れたとある山奥にポツンと立っている一軒の炭焼き小屋。

そこに今の日本ではめっきり見掛けなくなりましたが、昭和の時代には良く見られました炭焼きで生計を立てている親子がおりました。


この親子はその名を樵茂作(きこり・もさく)、樵巳之吉(きこり・みのきち)と言い、真面目で良く働くと近所でも評判の親子でございました。

茂作が父、息子が巳之吉でございます。


ある晴れた日の事。

二人はいつものように山に入り熱心に炭を焼いていたのでございます。


その日は大変天候に恵まれ、とても仕事がはかどっておりました。

このような日は珍しく、一年中でも滅多に有るという訳ではございません。

そこで二人は相談致し、折角(せっかく)故(ゆえ)いつもより一時間長く働くよう決めたのでございます。

いつもなら夕方5時で止める所を6時までと。

6時とはいえ、真夏ともなればまだまだ充分日差しは残っております。

この炭焼き小屋から樵親子の家までは一時間もあれば充分。

二人は安心して仕事に励む事が出来たのでございます。


しかし、

それが間違いだったのでございます。

その時二人は、まさかそんな大それた事件が起ころうなどとは夢にも思ってはおりませんでした。


それは、

夕方6時を少し過ぎた時の事。

茂作、巳之吉親子が仕事を終え、満足そうに後片付けを致しておった時。

それまで穏やかな天気だったその一帯に、急に強い風が吹き始めたのでございます。

そして、

二人が後片付けを終え、戸締りを済ませ、戸に鍵を掛けようと致しておりました正にその時、

それまで雲一つ無く晴れ渡っていた空が一転俄(にわ)かに掻(か)き曇り、



(ピューピューピュー・・・)



突風が吹き荒れ、

やがてそれが吹雪に変わったのでございます。


真夏にでございます。


いくら山の中とはいえ、真夏に吹雪など考えられる事ではございません。

二人は突然の出来事に大いに驚き、急いで小屋の中に戻り、内側からシッカリと戸締りを致しました。



(ピューピューピュー・・・)



吹雪はますます激しさを増して参りました。



(ガタガタガタ・・・)



小屋が小刻みに揺れております。

二人は仕方がないので、その夜(よ)はそこに泊まる事に致しました。


天候の変化は凄まじく強風は粉雪を舞い上げ、気温はぐんぐん下がって参ったのでございます。

無理もない事、その時にはこの小屋の周りは既に一面大雪に囲まれてしまっていたのでございますから。

しかし幸いそこは炭焼き小屋、炭や薪に困る事はございません。

暖を取る心配はなかったのでございます。


二人は、欲を掻(か)いて一時間余計に働いた事を今更ながら後悔致しておりました。


しかし、


『後悔先に立たず』


の例え通り、


その時既に・・・


遅かったので・・・











ごーざーいーまーす〜〜〜。


 ・


 ・


 ・


(などと、それっぽく書いてみますた。 今回は)







つづく







#2 『化け物』の巻



「ヒ、ヒェ〜〜〜!? た、助けてくれー!! ゥ、ゥア〜〜〜!!



(ビュービュービュ〜〜〜)



「オ、オヤジさん!? ・・・!? ゥ、ゥアー!! よ、寄るな化け物!! よ、寄るなー!! ゥ、ゥアー!! た、助けてくれー!! ゥア〜〜〜!!



(ビュービュービュ〜〜〜)



「アハハハハハ、アハハハハハ、アハハハハハ、・・・」



(ビュービュービュ〜〜〜)



「アハハハハハ、アハハハハハ、・・・」



(ビュービュービュ〜〜〜)



「アハハハハハ、・・・」



(ビュービュービュ〜〜〜)


(ビュービュービュ〜〜〜)


(ビュービュービュ〜〜〜)


(ビュービュービュ〜〜〜)


(ビュービュービュ〜〜〜)


 ・・・







つづく







#3 『破瑠魔中道』の巻



「こちら現場からの中継です。 昨夜、ココ、ペケペケ県ポコポコ郡ピコピコ村にある炭焼き小屋において、胴体の首から上がもがれるという前代未聞の猟奇殺人事件が起こりました。 現場は戸が叩き壊されている以外、特に荒らされた様子はなく、ただ、首を千切(ちぎ)り取られた遺体が2体とおびただしい血痕(けっこん)があり、それがこの事件の悲惨さを物語っています。 これまでの警察の発表によりますと、現場はたまたま通りかかった登山者によって発見され、被害者は2名で共に男性。 死後三日から一週間と見られ、所持品からこの2名は炭焼き業、樵茂吉(きこり・もさく)さん58歳とやはり炭焼き業でその長男の巳之吉(みのきち)さん30歳と断定されました。 被害の状況から何者かによる殺人事件との見方が優勢ですが、詳しい事はまだ分かっておりません。 尚、現場周辺では数日前、不思議な事に、真夏にもかかわらず大雪が降ったと言う目撃情報も寄せられております。 以上現場からの中継でした」



「やはり・・・か。 それにしてもたった3年、たった3年しか持たなかったのか」


テレビのニュースを見終わって、破瑠魔中道(はるま・ちゅうどう)が呟(つぶや)いた。

破瑠魔中道、年の頃なら656

羽織袴姿。

中肉中背、良く引き締まったボディをしている。(20091018日現在に於いて今は無きビリーズ・ブート・キャンプで鍛えたのか?)

鋭い眼光、充実した気力。

とても老人の域に入った人間のものとは思われない。

その炯眼(けいがん)、発する気は相対峙する者を圧倒した。


「ご当主」


「ご当主」


「ご当主」


 ・・・


その場に居合わせた者達が一斉に中道に呼びかけた。


「みなのもの餅つけ、餅つくのじゃ」


中道が一喝した。


ここは、

武蔵の国(関頭痴呆 否 関東地方の北は熊谷市、深谷市、秩父市から埼玉県の大部分。 葛飾区、江戸川区など一部を除いた東京都の殆(ほと)んど。 それに神奈川県の川崎市、横浜市までを含む一都二県にわたる広大な地域)近辺の山間に人知れず存在する女切刀(めぎと)の里。


ナゼ、人知れず存在するのか?


それは、

この女切刀の里は常に霧に包まれた山林の中に有り、しかも四方を深い断崖で区切られた上に道路も全く整備されておらぬため、ハイカーや旅行者はおろか地元住民さえ近付く事が出来なかった、否、その存在すら気付かなかったのである。

従って、正確な測量もなされぬまま地図にも殆(ほと)んど記載されるという事は無かった。


正に、

大自然の要害。

天がある使命を与えた者達のために作った要塞だったのだ。

その里の住居の戸数凡(およ)そ30、住人数約100人、破瑠魔中道はその里の一族の総領だった。

そしてその里人達はその里の近隣にフェイクの住居を構え、そこに住民登録をし、代々、木材の伐採や炭焼き及び狩猟・・・、をその生業(なりわい)としていた。

だが、

それは表向きそう見せているだけであり、

その実、彼等の真の仕事は他にあったのだ。


そして・・・











彼等の真の仕事とは?







つづく







#4 『呪禁道(じゅごんどう)』の巻



『呪禁道(じゅごんどう)』 と言う言葉がある。


読者諸氏にとっては余り馴染みのない言葉かも知れない・・・?


斯く言う作者も実は余り良くは知らない。 (ス、スマソ)

が、

確かに存在するのだ。



以下は、作者の勝手な独り言である。


この儒艮 否 呪禁道というのは、かつての日本において、死霊・生霊、人霊・地霊、猛獣・禽獣、事故・病気、あるいは刺客、・・・、等から身を守るために行われていた “呪術” の一種である。

いつ頃、誰が始めたかは定かではない。

6世紀後半に百済からもたらされたのがその始めであるという説もあるが、真偽の程は明らかではない。

恐らく何らかの形で古代支那(こだい・シナ = 現ユーラシア大陸の一部)の道教(俗に言う『タオ』)が日本に伝わり、仏教や日本古来の信仰・・・と結びついて生まれたものであろう。


名前の由来は、律令に定められた典薬寮(てんやくりょう)に所属する官名に呪禁師(じゅごんじ)というのがあったそうだ。 この呪禁師というのは道教(どうきょう = タオ)の呪術部門の一部である呪詛医療(じゅそ・いりょう)、並びに漢方医療を担当したらしい。 今でいう医療方といったところか。 当時は “医術” に “符術” は付き物だった。 俗に言う “霊符” だ。 後にこの呪詛・霊符といった物が当時支那から伝来され始めていた雑部密教(ぞうぶみっきょう)、後に伝えられた純粋密教、日本古来の信仰、民間信仰・・・と微妙に、そして複雑に絡み合い、いわゆる日本人好みの 『“ナニナニ”道』 即ち、 『呪禁道』 となったものと思われる。


本来、呪術の類(たぐい)は日本人の十八番(おはこ)とも言えるのだが、この呪禁道が余りポピュラーでないのはナゼであろうか?


その理由は色々考えられるが、呪禁道が日本に入って来たのと相前後して支那から 『陰陽道(おんみょうどう)』 が伝播されたのが主たる要因であろう。

この陰陽道は、最近映画・アニメ等でも良くその題材とされるため広く人口に膾炙(かいしゃ)されるようになったが、実はその歴史は古く、奈良時代に陰陽寮という機関が朝廷によって立てられたのがその始めであるとされる。

この陰陽寮というのは当初、今の気象庁に似た役割を持っていたのだが、後に呪術的色彩を帯びるようになる。

そして、これの発達により奈良時代末期に呪禁道は廃れたのである。(鎌倉時代初期まで存続したとも言われている・・が・・詳しい事は知ってませ〜〜〜ん。 エ、ヘヘヘ。 ス、スマソ : 作者)




しか〜〜〜し、


この廃れた筈の呪禁道が実はひっそりとひっそりと人知れず人知れず伝わっていたのだ。

ここ女切刀の里に。

時の権力者達と裏で通じながら。


そして・・・











その女切刀の里では今、緊急の話し合いが行われていた。







つづく







#5 『ヤツ』の巻



里人(さとびと)の一人、品井山 孟是(しないやま・もうぜ)が破瑠魔中道に詰め寄った。

品井山 孟是は中道の幼馴染でその補佐役、

この女切刀の里で唯一人、中道と “タメ” で口の聞ける存在だった。


「当主。 当主もやはりそう思われるか?」


「あぁ。 間違いなかろう」


中道が答えた。


「そうか・・・。 やはり、やはりあれは・・・」


ここで孟是が口ごもった。

言い出した中道もショックを受けているが、孟是達他の里人も又動揺していた。

しばらくは誰も言葉を出さなかった。

沈黙が続いた。


その沈黙を破ったのは、中道だった。


「ウム。 そうじゃ。 その通りじゃ。 アレは・・・雪女。 雪女の仕業じゃ。 それに間違いない」


「オォ―!!


「オォ―!!


「オォ―!!


 ・・・


里人一同から一斉に戸惑いの声が上がった。


「ご当主。 どう致しましょう?」


別の里人が聞いた。


「ウ〜ム」


中道は腕組みをし、着ている羽織の袖に両手先を入れて考え込んだ。

その里人が続けた。


「しかし、ヤツが現れた以上このまま放って置く訳にも・・・」


「ウ〜ム」


相変わらず中道は考え込んでいる。

里人達が痺(しび)れを切らせて中道に詰め寄った。


「ご当主!?


「ご当主!?


「ご当主!?


 ・・・


ユックリと腕組みを解きながら中道が気負う里人達を諌(いさ)めた。


「ウム。 まぁ、そぅ、慌てるでない。 今しばらく様子を見るとしよう」


だが、











その時既に、事は急を要する状況にあったのである。







つづく