#96 『備(そな)え』の巻



(サッ!!



再び雪女が五指を氷柱(つらら)に変えた右手を振り上げた。

そして死頭火目掛けてその手を振り下ろそうとした瞬間・・・



(ビヒューン!!



鋭く風を切って何かが飛んで来た。

それは凄まじい速さで雪女の左目目掛けて飛んで来る。


『ハッ!?


雪女は慌てて五指氷柱を放つのを止め、左手で飛んで来た何かを払った。



(ガキッ!! ポトン!!



間一髪だった。

目に当たる直前だった。

雪女がそれを払ったのは。


『ヌッ!?


雪女は下を向いて払い落とした物を見た。

それは、

死頭火が投げた軍駆馬の鞘に刺してあった “小柄(こづか)” だった。


本来小柄は、脇差(わきざし)の鞘の外側に差し添える小刀なのだが、死頭火は予(あらかじ)め大刀である軍駆馬の鞘に小柄を差し忍ばせていたのだ。


『備えあれば憂いなし』


さすが闘技の天才、破瑠魔死頭火。

どこまでも用意周到だった。


しかも右手で軍駆馬の柄(つか)を徐(おもむろ)に掴(つか)んだのは、雪女に小柄の存在を悟られないためのフェイクだった。

あえて軍駆馬の柄(つか)をユックリと意味有り気に掴(つか)む事によって、雪女の注意を軍駆馬に引き付けたのだ。

そして、雪女が余裕のヨッチャンこいてる隙(すき)に、小柄を抜きやすいように安定させるため、左膝で押さえ付けた(これも端〔はな〕っからそのつもりであったのだが)軍駆馬の鞘から雪女に悟られないように左手で小柄を引き抜き、下からトスするような格好で雪女の左目目掛けて投げ付けたのだ。


ナゼ左目か?


その時の雪女の体勢は、五指氷柱を放つために右腕を大きく上に振り上げていた。

左腕は、右腕と連動して地面と平行になる様に掌(てのひら)を下にして胸に当てられていた。


雪女にしてみれば飛んで来る小柄を顔を振って避けるよりも、手で払う方が早くて確実だ。


もし右手で払うとしたら?

上に振り上げた位置から小柄を払うために腕を振り下ろすと、右よりも左に来た方を払う方が動きが大きくなる。

それだけ時間が掛かる。


なら、左手ならどうか?

左肘を中心にして、そのままの形から90度半時計回りに左上腕を回す事になる。

やはり右より左を払う方が時間が掛かる。


又、

右手で五指氷柱を放つという事は若干左を前、右を後ろの半身になる。

つまり、ホンの僅(わず)かではあるがその分左目の方が距離が近くなる。

即ち、

僅かずつではあるが距離が縮まり、払う時間が余計に掛かる事になる左目を狙った方が小柄の払い落とされる確率は低い。

よって、

右手を振り上げられた雪女の体勢を見て、咄嗟(とっさ)に右目でなく左目を狙うべしと死頭火は判断したのだった。


これぞ達人、正に達人の仕掛けだ。



「クッ!? 又しても小賢(こざか)しい真似を」


そう言いながら雪女が顔を上げた。











その瞬間・・・







つづく







#97 『一発必中』の巻



『ハッ!?


雪女の顔が引き攣った。

3年前の悪夢が雪女の脳裏(のうり)に甦った。

死頭火が既に立ち上がり、軍駆馬を投擲(とうてき)の槍のように右肩に担(かつ)いでいたからである。

3年前、内道がそうしたように。



(グィッ!!



死頭火が右肩に担いだ軍駆馬を雪女に投げ付けるため、重心を後ろ足に乗せ弾みを付けた。

後は死頭火、左足を一歩前に踏み出し雪女目掛けて軍駆馬を投げるのみ。


一方、

雪女は小柄(こづか)を払ったままの状態のため、まだ五指氷柱の体勢に入ってはいなかった。

慌てて雪女は右腕を振り上げた。


どっちが早いか?


死頭火が上体をグィっと弓なりにして軍駆馬を投げる体勢に入った。


呪符術を破られた事による過度の出血、その傷の痛み、加えて疲労のため最早得意の念法を操るエネルギーも使い切ってしまった破瑠魔死頭火。

残された武器は軍駆馬のみ。


よってこの攻撃は、


“一発必中!?”


でなければならない。



後にも先にも・・・


泣いても笑っても・・・


これが・・・


その全存在を賭けた・・・


命を懸けた・・・


破瑠魔死頭火・・・











最後の攻撃である。







つづく







#98 『中道の弱点』の巻



投げれば良かった。


死頭火は軍駆馬を投げれば良かった。


だが、

死頭火が軍駆馬を投げようと一歩右足を後ろに引きグッっと踏ん張った正にその瞬間・・・

雪女が五指を氷柱に変えた右手を再び振り上げた丁度その時・・・


「ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ、・・・」


突然、中道が咳き込んだ。


中道には弱点が有った。

生まれつき呼吸器官が弱いという。

呼吸は念法の基本。

その基本を司る呼吸器官が弱かったのだ。

このため、その素質は充分あったにもかかわらず軍駆馬を抜くまでには至れなかった。

それでも中道はその天賦の才能ゆえその弱点をある程度克服し、656歳の老人とは思えぬ程の若さと気力を持ち合わせてはいた。

だが、

流石(さすが)にこの寒さの中、階段脇で長い事身動き一つせずジッと身を隠していたため全身が冷え切り、この重大な土壇場(どたんば)で、とうとう我慢しきれず咳き込んでしまったのだった。


『ハッ!?


これに反応し、一瞬、死頭火の動きが止まってしまった。


その時、


「ヌッ!? 何奴!?


雪女がそう叫んで反射的に体を僅(わず)かに捻り、振り上げた右手を死頭火にではなく、その脇の咳の聞こえた辺り目掛けて勢い良く振り下ろした。



(ビヒューン!! ビヒューン!! ビヒューン!! ビヒューン!! ビヒューン!!



中道、外道のいる場所目掛け、雪女の五指氷柱が飛ぶ。


『し、しまった!?


死頭火は言葉ではなく感覚でそう思った。











そして・・・







つづく







#99 『決着』の巻



(ドサッ!! ドサッ!!



それまで互いに体をくっ付けていた中道と外道が左右に吹っ飛んだ。


投げようとしていた体勢から素早く握っていた軍駆馬を放り投げた死頭火が、信じられないスピードで二人の間に割って入り、左右の手で二人を突き飛ばしたのだ。


そこへ、



(ビヒューン!! ビヒューン!! ビヒューン!! ビヒューン!! ビヒューン!!



鋭く空気を切って雪女の五指氷柱が飛んで来た。


そして、



(ドスッ!! ドスッ!! ドスッ!! ドスッ!! ドスッ!!



死頭火の背中に全弾命中!!


五本とも突き刺さった。


「グハッ!!


口から真っ赤な鮮血を吐き出し、吹っ飛び、倒れ込む死頭火。


死頭火は母の情愛が甦(よみがえ)ってパワーを取り戻した。

だが、

その情愛が返って仇となり死頭火は我が子外道を見殺しに出来ず、守ってしまったのだ。


自分と対等、あるいはそれ以上の相手との戦いの最中(これは『さなか』と読んじゃいます、『もなか』ではありませヌ)、

不覚にも死頭火は戦士の心よりも母の情が勝(まさ)ってしまったのだった。


最早、死頭火に戦い続行は不可能。

否、既に瀕死(ひんし)の状態。


そして事ここに至り、

終に、この戦いの決着が着いた。


そぅ、その決着とは・・・


破瑠魔死頭火 “敗(やぶ)る!?” 











であった。







つづく







#100 『不可解な行動』の巻



『ヌッ!?


雪女は驚いた。

突然、死頭火が戦いを放棄し、自ら進んで雪女の放った五指氷柱に当たりに来たからだ。


そぅ・・・


この時、雪女の目にはそう映っていたのだった。

現身隠(うつしみ・がく)しの呪符の呪力で中道と外道の姿の見えない雪女の目には、死頭火のこの不可解な行動はそう映っていたのだった。


一瞬、

雪女は又しても死頭火が何か企んでいるのではなかろうか。

そう思った。

それには誰もいない空間から咳き込む声が聞こえた所為(せい)もあった。


だが、

雪の上、階段横で背中から血を流し、力なく腹ばいになって倒れ込んでいる死頭火の姿はこれ以上戦闘続行不可能を物語っていた。


雪女は思った。


『フン!? 妙な真似を・・・!? マァ、良い』


死頭火の敗北を確信するや、その不可解な行動などもうどうでも良くなっていた。

これが圧倒的強さを誇る雪女の余裕だ。

そして癖でもある。


“余裕のヨッチャン癖(へき)”


という。



(ズサッ!! ズサッ!! ズサッ!! ・・・)



ユックリと一歩ずつ、静かに死頭火に向かって雪女が歩き始めた。











ユックリと一歩ずつ・・・







つづく