#109 『500年前の出来事』の巻



時は・・・それより遡(さかのぼ)ること500年。

季節は・・・初秋(しょしゅう)。



−−− ★ ★ ★ −−−



「ゥ、ゥ〜ン!?


一言軽く唸って、男は静かに目を明けた。


目が霞(かす)んで前がハッキリとは見えずボンヤリしている。

目の焦点も合わせられなかった。

頭の中がボーっとしている。


男は目を閉じた。


遠くで小鳥のさえずり、小川のせせらぎの音がしているような気がした。

それらを聞くとはなしにただジッとしていた。


暫(しばら)くそのままでいた。


別に眠った訳ではなかったが、何も考える事が出来ず頭の中がボンヤリしていた。

夢と現実を行ったり来たりしている、そんな感じだった。


どの位時間が過ぎてからかは分からなかった。

が、

突然体が、



(ビクッ!!



痙攣(けいれん)した。


それは、それまで遠〜くに置いてあった自分の意識が瞬時に戻って来て、いきなり体の中に飛び込んだ。

そんな感覚だった。



(ゾヮゾヮゾヮゾヮゾヮ・・・)



全身の血が逆流するのを覚えた。

それと共に体温が急上昇した。


再び男は目を開けた。

意識は完全に、という程ではなかったがある程度戻っていた。

と言っても思考能力は依然として停止したままだったのだが。


目の前は先程同様ボンヤリしていてハッキリとは見えない。

明かりが感じられたのでどうやら辺りは暗くはないらしい。


瞬(まばた)きは何度かしたが、目は閉じなかった。


徐々に目の焦点を合わせられるようになって来た。

それは丁度、一眼レフカメラの望遠レンズの焦点がユ〜〜〜ックリと合う感覚に似ていた。


すると・・・


突然、目の前に人の顔が浮かび上がった。

その顔は上から覗(のぞ)き込んでいた。

それは女の顔のようだった。


それも・・・











年若い娘の。







つづく







#110 『女の声』の巻



「お気が付かれましたか?」


女の声がした。


それは年若い娘の声だった。

その声は美しく澄んでいて、小声でも良く通る声だった。

上品さ、清らかさも感じられた。


『ハッ!?


その声を聞いて、男は反射的に起き上がろうとした。

だが、



(ズキッ!!



全身に痛みが走った。

そのため、全く体を動かす事が出来なかった。


「ウッ!?


ただ呻く事だけしか。


その時、再び同じ娘の声がした。


「いけませぬ!! まだご無理をなさっては」


その痛みが返って幸いし、男の意識が完全に戻った。

しかし、まだ頭の中は混乱していた。


男は何とか起き上がろうと全身に力を込め、悶えながら、


「こ、ここはどこじゃ!? ワ、ワシは、ワシは一体ここで何を!? ソ、ソナタは、ソナタは一体何者(なにもの)・・・!?


酷(ひど)く取り乱して、畳み掛けるように男は娘にそう聞いた。


「落ち着きなさりませ、お武家様(ぶけ・さま)。 そうご案じなさりまするな。 怪しい者ではござりませぬ。 それにまだ、ご無理はいけませぬ」


抜けるように真っ白な手で軽く肩を抑えられ、

透き通るような美しい声で娘に諭(さと)され、

男は少し落ち着きを取り戻した。


体の力を抜き、

男は目の前にいる娘の顔を見ようと意識した。


そして見た!?


否、

見つめた、と言った方が正しいか。


その瞬間、


『ハッ!?


再び男は驚いた。

否、

息を呑んだ。


男はこう思ったのだ。


『ナ、ナント美しきオナゴじゃ!?











と。







つづく







#111 『過去の記憶』の巻



「まだ、ご無理はいけませぬ」


男が落ち着きを取り戻したのを見定めて、娘が言った。

その顔は少しはにかむように微笑(ほほえ)んでいた。

その笑顔が魅力的だった。


「スゥ〜。 フゥ〜」


なるべく痛みを感じない様に注意しながら男は一度、大きく息を吸い、そして吐いた。

それから娘に聞いた。


「ここはどこですか? ワシは一体ここで何を?」


にっこり笑って娘が応えた。


「ここは我が里。 重磐外裏(えばんげり)の里。 お武家様は全身傷だらけで、川縁(かわべり)でずぶ濡れになって倒れておられました。 どこぞから川に運ばれて来たご様子で。 そこへたまたま私共が通り掛り、家人がここまでお運び致しました。 ここは我が屋敷でございます。 それにお武家様は三日三晩意識がなかったのでございますょ。 それも決してこの太刀を離そうとはなさらずに」


娘は男の右手を指し示してそう言った。


その右手には、一目でそれと分かる見事に設(しつら)えた、しかし硬く封印(ふういん)されている剛剣の収まった鞘が強く握り締められていた。


『ハッ!?


男はそれに気付いた。

握った太刀を離そうとした。

だが、

指が硬直していて離そうにも離せなかった。


「お手伝い致しましょう」


そう言って娘は立ち上がると、今まで座っていた位置から反対側である男の右手側に回った。

そして真っ白でか細い上品な両手の指で男の指を揉み解(ほぐ)しながら、娘は男の指を慎重に一本一本鞘から剥がすように外していった。

かなりの時間を費やしてやっと5本全部の指が外れた。

指は硬直していたとはいえ、若干、血流があったのだろう、右手の組織はどこも壊疽(えそ)してはいなかった。


娘はその太刀を大切そうに男の枕下に置いた。


男が指を鞘から外すのを手伝いながら、娘は男にこう話し掛けていた。


「お武家様のお怪我は大変なもの。 さぞや大事(だいじ)がお有りだったのでございましょう。 良くぞお命がございました・・・」


「・・・」


男はそれを黙ってジッと聞いていた。

というより言葉が出せなかった。

聞きながら何があったのかを必死に思い出そうとしていたのだ。


だが、

それは無理だった。


ここ数日間の記憶を・・・











全て失っていたからである。







つづく






#112 『その名は・・・』の巻



男はもう落ち着きを取り戻していた。


その娘がそうしてくれていたのであろう、解熱のために額(ひたい)に置かれた手ぬぐいを替えてくれる娘の仕種を見つめていた。


決して身分卑しからぬと想像させる高価そうな白無垢(しろむく)の着物に身を包み、小首を傾(かし)げ、無駄のない動きで枕もとに置かれた手桶(ておけ)の水で手ぬぐいを洗う仕種がなんとも言えず優雅だった。


娘は、年の頃なら145歳(現代ではなく、この時代の145歳)であろうか。

まだあどけなさが残ってはいたが、上品で美しく真のシッカリした顔立ちだった。

体は細身で、この時代には珍しく長身で手足が長い。


その上・・更に・・加えて・・えぇチチじゃ〜〜〜!!


着物の上からチラッと見ただけでも、コメカミに思いっきり力を込めてハッキリ 「そぅだーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!」 と断言できる程だ。


牛チチだーーー!!

牛チチだーーー!!

牛チチだーーー!!


肌の色は着ている純白の着物よりも更に白く、まるで抜けるように真っ白だった。

それが腰まで届く程長く艶やかで豊かな黒髪に、より一層引き立てられていた。


娘が洗ったばかりの手ぬぐいを男の額に乗せようとした時、二人の目が合った。

全くそんなつもりはなかったのだが、ボソっと男の口からこんな言葉が漏れた。


「ナント、美しき姫御(ひめご)じゃ!?


娘はポッと顔を赤らめ、一瞬手を止めた。


「そのように見つめられると恥ずかしゅうございます」


「アッ!? ァ、イヤ!? こ、こ、これは済まぬ」


男はチョッと慌てた。

一呼吸置いた。

そのまま娘が額に手ぬぐいを置いてくれるのを見ていた。

それから続けた。


「美しき姫御ょ。 ソナタの名は? 名は何と申される?」


娘は言った。


「マァ!?


と一言。

そしてチョッと間(ま)を取り、少しはにかみながら続けた。


「お武家様は聞いてばかりでございます。 ご自分の事は何も・・・」


その言葉を聞き、再び男は慌てた。


「そ、そうであった。 も、物には順序という物があった」


こう自分に言い聞かせるように言ってから続けた。


「先ず、お助け頂き礼を申します。 斯様(かよう)な親切、心底より有り難く存じます。 ワシは武蔵の国の郷士(ごうし)で破瑠魔大道(はるま・たいどう)と申します。 旅の途中で斯様な親切を受ける事に相成(あいな)りました。 残念ながら旅の目的は唯今失念致しております故申せませぬ。 ・・・ 」


大道はここで一旦言葉を切った。

呼吸を整え、こう言い加えた。


「して? そこもとのお名はナント? ナント申されます? お聞かせ願えませぬか?」


娘は改めて大道に向かって座りなおし、その大きく円(つぶ)らな瞳で大道の目を見つめた。



(ドキ!!


(ドキ!!



この瞬間、

二人の間に何かが走った。

何かが。


衝撃!?

電流のような衝撃が!?


それは一瞬にして二人の全身を駆け抜けていた、二人同時に。


そして、期待と興奮と不安・・・の入り混じった複雑な思いを素直に表した目で自分を見つめている大道の目をジッと見つめ、娘はこう名乗った。


「雪(ゆき)と申します」


と。


そぅ・・・


この娘はその名を・・・











『雪』 といった。







つづく






#113 『決して忘れてはならない何か』の巻



『ウ〜ム』


大道は考え込んでいた。


意識が回復してから既に一週間が経っている。

体はもうすっかり良くなっていた。

流石に鍛えられた体だ。

驚異的な回復力だった。


だが、

失ったここ数日間の記憶は未(いま)だ全く戻っては来なかった。


大道は焦っていた。

その未だ戻って来ない記憶は、決して忘れてはならない重大な何かであるという事を感覚的に覚えていたからだ。


『ウ〜ム』


大道は腕を組み、目を瞑(つむ)り、沈思黙考し、何でも良いから糸口となりそうな事を思い出そうと懸命に努めていた。


その時、


「マァ、大道様!! 如何(いかが)なされました? そのような難(むつか)しいお顔をなさって」


何時(いつ)の間にか側に寄っていた雪が声を掛けた。



(ドキッ!!



大道は飛び上がって驚いた。

如何(いか)に深く考え込んでいたとはいえ、全く気配を感じさせずに雪が近付いていた事に。


ここは雪の屋敷の離(はな)れの濡縁(ぬれえん)。

その屋敷は豪壮な造りだった。

チョッとした城、あるいは造りの立派な神社と言っても良い程だ。

それに伴い離れも又、尋常な造りではなかった。

当然、濡縁も半端(はんぱ)な大きさではない。

清水の舞台の優に3倍は有るだろうか?

その位の規模だった。

その濡縁の縁(ふち)に下駄を履き大道は腰掛けて考え込んでいた。

そこへ雪が盆に茶を載せ、運んで来たのだった。


驚いて立ち上がった大道が振り向いた。


雪はもう正座して、持って来ていた盆を今大道が座っていたところの直ぐ脇に置こうとしていた。

大道は愕然としてその姿を見つめていた。

信じられなかった。

如何(いか)に今、自分が病み上がりであっても、

如何に今、深く深く沈思黙考していたからと言って、

全く気配を感じさせずに雪が近付いた事が大道には信じられなかったのだ。

それもホンの直ぐ側まで。


時に大道18歳。

女切刀呪禁道、頭領後継者として相応(ふさわ)しい境地に既に達していた。

それもあの神剣・軍駆馬(しんけん・いくさかりば)を抜く程の。

この時点で大道は既に軍駆馬を抜いていたのだ。


ところが雪は、その達人大道に全く近寄る気配を感じさせなかった。

大道にはそれが信じられなかった。


音を立てずに盆を置いてから雪が顔を上げた。

呆然と自分を見つめる大道と目が合った。

その大道にニッコリと微笑みかけて雪が言った。


「何をそのように驚かれておられます?」


そしてホンのチョッと盆を大道に差し出すように押して、続けた。


「さ、どうぞ。 冷めぬうちにお飲み下さいませ」


と。


だが、大道は動こうとはしなかった。


ナゼなら、


その時大道・・・


忘れていた何かを・・・











思い出し掛けていたからである。







つづく







#114 『若いオナゴ』の巻



「オナゴじゃ。 それも若い・・・」


ボソッと大道が呟(つぶや)いた。


突然の雪の出現が切っ掛けとなって、大道は何かを思い出し始めていた。

一種のショック療法だ。

そうなるともう、音もなく雪が近付いて来た事よりも思い出し始めた何かの方に気が行き、再び大道は深く思いを巡らせていた。


「オナゴ? 若い・・・? 若いオナゴがどうかなさいましたか?」


怪訝(けげん)そうな顔で雪が聞いた。


「そうじゃ若いオナゴじゃ。 若いオナゴに関する事じゃ。 ワシが思い出さねばならぬのは・・・」


それを聞いて雪の顔が曇った。

不安そうな表情を浮かべている。

大道が口にした若いオナゴと言う言葉に引っ掛かったのだ。


大道が意識を取り戻してからまだ僅(わず)か一週間。

だがそれは、

若い二人には充分な時間だった。

恋に落ちるには。


そぅ、雪は大道に思いを寄せ始めていたのだ。

勿論、大道も・・・


その大道が自分の顔を呆然と見つめて若いオナゴという言葉を発したのだ。

雪にとっては心中穏(しんちゅう・おだ)やかではない。


平静さを装って雪が同じ事を聞いた。


「若いオナゴがどうかなさいましたか?」


「否、それが・・・」


大道はそれだけ言うとクルッと後ろを向き、空を見上げ、チョッと考え込んだ。


「それだけしか今はまだ思い出せんのだ。 若いオナゴとだけしか・・・。 今はまだ」


「そうでございますか」


雪は益々不安になった。


人間というものは、例えそれが自分にとってショッキング、不都合、不愉快・・・な事であってもハッキリと分かる方が安心出来る時がある。

今がそうだった。

この手の話は中途半端に知るという事は却って不安を増す物なのだ。


雪の不安を尻目に、突然大道が振り返った。


「雪殿。 少し歩いてみたい。 良かったらこの里を案内しては下さらぬか?」


その言葉を聞き雪の表情が少し明るくなった。

スッキリしたという訳ではなかったが、気分転換には充分効果があった。


「まだご無理はせぬ方が・・・」


「否、大丈夫じゃ。 雪殿の看病のお陰で、これ、この通りすっかり元気になれました。 礼を言います」


そう言って、



(ペコ)



大道が頭を下げた。

そして続けた。


「だからどうかこの里を案内しては下さらぬか?」


この大道の言葉に、



(パッ!!



雪の表情が嘘のように明るくなった。

散歩に誘われた事が雪の気分を一気に転換させた。

若いオナゴという、目に見えない相手に対して優位に立ったような気持ちになれたのだ。

今、大道の側にいるのは他の誰でもないこの自分なのだからという優位に立った気持ちに。

そして嬉しそうにこう言った。











「ハィ!!







つづく







#115 『重磐外裏(えばんげり)の里』の巻



「不思議な里じゃぁ!?


不意に大道が口走った。


大道は今、三日三晩意識を失っていながらも決して手放そうとはしなかったあの太刀を腰に差し、重磐外裏(えばんげり)の里を歩いている。

勿論(もちろん)雪に案内されて。


重磐外裏の里はどことなく女切刀(めぎと)の里に似ていた。


それはどちらの里も深い山間に位置し、周囲を絶壁で区切られているからだろう。

だが、女切刀がその四方を高い山々に囲まれているのに対し、

重磐外裏の里は東・西・北面の三方のみ山の頂きに囲まれた台地の上にある山里で、南面は開かれていた。

そしてそこから見下ろす眼下の景色は、


『ハッ!?


っと息を呑むほど美しかった。


そこだけが女切刀の里とは違っていた。


しかしここは、山里というには民家の数が多過ぎる。

山間にあるチョッとした集落あるいは部落と言った方が近い。

そこを二人は歩いていたのだ。

時々、遠くで野良仕事(のらしごと)や家事をする人々の姿を見かけた。

一見、どこにでもあるような普通の暮らしぶりだった。


だが、一つ違っていた。


雪と大道に気付くと皆、一様に気付かなかった風を装い、そそくさと逃げるように陰に隠れたり家の中に入ってしまうのだ。

別に無視したり村八分にしたりと言った雰囲気ではなく、近寄り難い何かを感じ取り、体が自然とそうしているように大道には思えた。


その思いとその時大道が感じた事が、不意に “不思議” という表現になり、そのためこの言葉が口を突いて出たのだった。


「不思議な里じゃぁ!?


と。


「エッ!?


雪は少し驚き、


「どこがでございますか?」


聞き返した。


「ウム。 男衆の姿が全く見えぬ。 女人(にょにん)ばかりじゃ」


辺りを見回しながら大道はそう言うと、雪の方を向いた。


「ここに男はおらぬのですか?」


「あぁ、そういう事ですか。 はい。 今、里の男衆は皆出払っております」


「そうですか。 でも、皆ですか?」


「はい。 動けるものは皆・・・」


そう言って雪は口ごもって俯(うつむ)いた。


「何か訳でも?」


大道が聞いた。


「・・・」


雪は黙っていた。


「アッ!? これは立ち入った事を。 否、失礼致した」


慌てて大道は話題を変えようとした。


その時、


「戦(いくさ)でございます」


雪が顔を上げ、遠くを見つめ、











ポツっとそう呟(つぶや)いた。







つづく