#181 『小重裏虚(しょう・エリコ)成すべし』の巻



「父上。 玄丞が謂(い)いによれば妖が姫御子、齢(よわい)十六にして何かが乗り移るとの事。 しかも今夜半(こん・やはん)子(ね)の刻(午後11時〜翌午前1時)を以って姫御子十六。【注:#182参照】 時既になしでござる。 よってこれより某(それがし)単身重磐外裏に乗り込み、妖が姫御子成敗致す所存でござる」


と、大道が覚道に言った。


「ウム。 良かろう。 じゃがワシらは、ワシらは如何(いかが)致せば良いか?」


「ハッ!! 父上」


そう言って大道は覚道及び皆を一渡(わた)り見回した。


「本来ならば妖が姫御子打ち果たした後(のち)、即座に壁城結界(へきじょう・けっかい)成就すべきところではあり申すが、残念ながらこの面々では壁城結界は無理でござる。 さすれば某が秘術・大炎城結界(だいえんじょう・けっかい)を以ってこれに代え、然る後(しか・る・のち)某急ぎ戻り、皆と共に小重裏虚成すべきかと」


「良かろう。 じゃがもし。 ま、いらぬ心配とは思うが。 もしもじゃ。 もしもソチが妖が姫御子に敗れた場合、その時はワシらは如何(いかが)致せば良いか?」


「・・・」


一瞬、大道は言葉を飲んだ。

妖の姫御子・雪を知っている大道にしてみれば、あの可憐で思いやりがあり心根の優しい雪が自分に抵抗する可能性など、全く考えもしていなかったからだ。


そんな事とは露知らず覚道が再び聞いた。


「如何(どう)なのじゃ、大道。 ワシらは如何(いかが)致せば?」


慌てて大道はその瞬間、心に閃(ひらめ)いた事で言い繕(つくろ)った。


「そ、そ、その時は、某(それがし)に構う事無く即座に小重裏虚を成就なされょ」


と、ここまで言って大道は、はたと気が付いた。


「否、某が敗れてからでは遅すぎる。 そうでござる。 そうでござるゾ父上。 某が敗れてからでは遅すぎるでござる。 時既に一刻の猶予無し。 よって結界は無用。 某に構う事無く父上、唯今を以って皆と共に小重裏虚の術に入られょ」


「良いのか大道、それで? ソチも巻き添えを食らって術中に嵌ってしまうのじゃゾ。 二度と戻る事叶わぬのだゾ。 それでも良いのか大道?」


「ハッ!! 父上。 某、元よりそれは覚悟の上。 既に約束の刻限は迫っており申す。 こうなった以上某に構う事無く、小重裏虚を」


「ウム。 心得た」


そう言って覚道は全員に向かい号令を掛けた。


「皆の者、聞いての通りじゃ。 これより小重裏虚の術に入る。 急ぎ仕度(したく)致せ!!


「ハハァーーー!!


「ハハァーーー!!


「ハハァーーー!!


 ・・・


皆が一斉に気勢を上げた。

いきなりその場が活気付いた。

皆、一様に興奮している。

それが暫(しば)し続いた。


それを見届けて大道が改めて言った。


「ならば父上、後はお任せ申した。 某はこれより重磐外裏へ」


「ウム。 大道。 武運を祈(いの)っておるぞ」


「ハッ!! 父上に置かれましても」


大道がそう言った時には、疾(と)っくに日は暮れていた。

刻限(こくげん)は既に戌(いぬ)の刻(午後7時から9時までの間)に入っている。

大道がその場に到着し、暫(しば)し眠り、起きて後全てを語るのに一時(いっとき : 2時間)以上要したからだった。











ここは重磐外裏より二山越した山林の中である。







つづく







#182 『【注】』の巻



#181の本文中に、


「・・・。 しかも今夜半(こん・やはん)子(ね)の刻(午後11時〜翌午前1時)を以って姫御子十六。【注:#182参照】 ・・・」


とした所について簡単に解説しておこう。



この1日の始まる時間の数え方は、時代背景を考慮して陰暦を採用している。


つまり 『一日は、 “子(ね)の刻” に始まり、 “亥(い)の刻” に終わる。』 という考え方である。


東洋系の占い(例えば四柱推命)などでも子の刻の始まり、即ち午後11時を以って翌日と見なすとされているのが現状だ。


もっとも、聞く所によるとその四柱推命の中には、


明治・大正・昭和に掛けて活躍した 『阿部泰山』 という名の有名な占い師の提唱する “子の刻” を二つに分け、午後11時から午前0時までを “夜の子の刻”、午前0時から午前1時までを “今日の子の刻” とし、午前0時を以ってその日の始まりとする。 という流儀も存在する。


詳しい事はその手の本を参照願いたい。











という事で・・・







つづく







#183 『雪の住む屋敷』の巻



大道は走った。



(タタタタタ・・・)



夜道を走りに走った。

左腰に差した神剣・軍駆馬は、走りの邪魔にならないように左手で鞘を握って腰にシッカリと固定していた。

既に日は暮れ、辺りは薄暗い。

しかし月明かりと満点の星空で走るのに不自由はしなかった。

二山越すのに一時(いっとき : 今の2時間)掛かった。


否、


この早さでそれなりの高さを持つ山を二山越したのだ。

故に一時しか掛からなかったというべきか?

病み上がりにも拘(かかわ)らずにだ。

大道の体術のなせる技だった。


大道はひたすら走り続けた。

時間がなかったからだ。


二山目を越すと直ぐに重磐外裏の里だった。


既に日が暮れていたのでそこに人影はなかった。

皆、既に家の中に入っているに違いなかった。


大道は自分の存在を悟られないよう、充分注意して里に入った。

足音を立てないよう用心しながら、それでもなお走り続けた。


目指すは雪の屋敷。

否、

妖の姫御子の住む屋敷だ。


大道にとって雪に未練がないといえば嘘になる。

雪が大道に思いを寄せていたのと同様、大道も何時(いつ)しか雪を愛(いと)おしいと思うようになっていたのだ。


だが、

大道は既に覚悟を決めていた。

義のために情を捨てると。

そぅ、

大道はこう決心していたのだ。


『ワシの代でこの因縁に決着をつける。 破瑠魔と妖のこの忌(いま)わしき悪因縁に。 そのため、ワシは鬼となる。 鬼となって雪殿を、否、妖の姫御子・雪を斬る』


と。


流石(さすが)武人、破瑠魔大道。

情に流される事はない。



(ピタッ!!



終に屋敷に着いた。

宿敵妖の姫御子の住む屋敷に。

時刻は、既に “亥の三つ(午後10時)” を回っている。


ナゼか門の鍵は開いていた。

気付かれないように門を潜(くぐ)り、玄関を素通りし、真っ直ぐ雪の部屋の前まで来た。

部屋には蝋燭(ろうそく)の明かりが点(とも)っていた。

障子越しにその明かりが揺らめくのが分かった。


大道は立ち止まった。

中の様子を窺った。

人の気配がした。


『そこにおるのは妖が姫御子か? ウム。 姫御子に相違(そうい)ない』


大道はそう直感した。

それから左腰に差してある軍駆馬にユックリと目をやった。

軍駆馬の封はまだ解かれてはいなかった。


大道は思った。


『終にこの時が来たか。 この封を解く時が』


右手で予め軍駆馬の鞘に仕込んでおいた小柄(こづか)を引き抜いた。

その小柄を軍駆馬を封印している組み紐に内側から当てた。

そして、



(ピシッ!!



組み紐を切った。


この瞬間、


終に、あの不死(ふし)の術を使う妖 玄丞との戦いにおいても解かれる事のなかった、神剣・軍駆馬の封印が解かれたのだ。


大道は小柄を元に戻した。

気を静めるため、


「スゥ〜〜〜。 ハァ〜〜〜」


一度大きく息を吸って吐いた。


それから


『ウム』


と相槌(あいづち)ではなく、自分で自分に納得させるために小さく頷(うなづ)いた。

無意識に取った大道の決心と覚悟の表れだった。


そして、

左手親指を鍔(つば)に掛けた。

抜き易くするため軍駆馬を鞘ごと前に少し押し出した。

そして右手を軍駆馬の柄(つか)に向け動かし始めた。

その右手は大道の体幹の前をユックリと過(よ)ぎり、柄(つか)を掴(つか)んだ。


ここに破瑠魔大道戦闘準備完了。

後は大道、軍駆馬を引き抜くのみ。


大きく息を吸い、息をつめた。

鯉口(こいぐち)を切るため、柄を握っている右手に力を入れると同時に左手親指指先に力を込めた。


そして大道、終に神剣・軍駆馬を引き抜こうとした・・・











正にその時。







つづく







#184 『眼(め)』の巻



(ビクッ!!



大道は跳び上がらんばかりに驚いた。

いきなり障子が開いたのだ。


そして中から雪が姿を現した。

軍駆馬に手を掛け身構えている大道の眼(め)を見据えたまま、無言で濡縁(ぬれえん)の縁(ふち)までユックリと歩いて来た。

大道を見据える雪の眼は至って冷静そのもの。

表情に感情は全く出てはいない。


大道には信じられなかった。

誰にも気付かれぬよう、気配を消してこの屋敷に入った筈だった。

当然雪にも。

だが、雪は察知した。

大道にとってこのような事は、かつて一度も無かった事だった。

これは自慢の体術を雪にいとも簡単に破られた事を意味していた。


愕然として雪を見つめる大道。

そんな大道を濡縁の縁に立ち、見下ろす雪。


暫(しば)し二人は黙ったまま見つめ合った。


大道が何か言おうと口を開こうとした。

だが、

それを制するかのように雪が聞いた。


「ナゼ?」


「・・・」


大道には雪の言ったナゼという言葉の意味が分からなかった。

その大道の腑に落ちぬという表情を読み取り、再び雪が聞いた。


「ナゼでございますか、大道様?」


「ナゼとは・・・?」


「お惚(とぼ)けになられても無駄。


つー、まー、りー、・・・


『無駄ーーー!! 無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!


既に分かっております、私(わたくし)には・・・。 大道様が賊(ぞく)である事が」


これを聞き大道は思った。


『ヌッ!? 悟られたか・・・!?


そして観念して言った。


「そうであったか。 分かっておったか。 しかし何時(いつ)?」


「今しがた大道様が屋敷に忍び込まれた時」


再び大道は驚いた。

今の事といい。

昼間、全くその気配を感じさせずに自分の傍に近寄って来た事といい。


『この女子やはり徒者(ただもの)ではない。 否、出来る!!


大道はそう思った。


「スゥーーー!! ハァーーー!!


気を静めるため、大道は一度大きく強く深呼吸をした。

そしてジィーっと自分を見つめる雪の眼(め)を見つめ返した。


その瞬間、



(ゾクッ!!



寒気がした。

雪の眼に圧倒されたのだ。

別段、異様な霊気を発しているのでもなければ、獰猛な野獣の目付きという訳でもない。

その眼は冷静そのもの。

怒り、憎しみ、喜怒哀楽そういった感情は一切なく、ただひたすら冷静そのもの。

ただ、何を考えているのか全く掴めないほど深い眼をしていた。

大道ほどの達人ともなれば相手の眼を見れば、相手が何を考えているのか大抵の事は察しが付く。

しかし空恐ろしいまでに深い雪の眼からは、何を思い何を考えているのか全く掴む事が出来なかった。

そんな眼を見たのは始めてだった。


その瞬間大道は、直感的にこう思った。











『ワシはこの女子に勝てぬかも知れぬ』







つづく







#185 『妖の名』の巻



「ソナタの父、玄丞殿はワシが討った」


大道が言った。


「・・・」


雪は顔色一つ変えずに黙っていた。

それを見て大道は三度(みたび)驚いた。


『気付いていたのか!?


・・・と。


大道には雪が既に覚悟を決めているのが良く分かった。


『最早、余計な事を言う必要はない』


大道はそう思った。


ならばと、


「ワシはソナタを斬らねばならぬ」


大道が単刀直入に切り出した。


「・・・」


「・・・」


暫(しば)し二人は黙って見つめ合った。

その二人の間に、



(ピューーー!!



風が舞った。

一陣の風が。


「心得ております」


全く表情を変える事なく雪が言った。


『そ、それもか・・・!?


又しても大道は驚いた。


「しかしナゼ? ナゼでございますか大道様?」


静かに雪が聞いた。

大道が即座にこう答えた。


「ソナタが妖の姫御子(ひめみこ)だからじゃ」


これを聞き雪の表情が変わった。

意外だという風をしている。


「妖? ナゼ妖の名をご存知なのですか? 父と私(わたくし)しか知らぬ妖の名を」


これは大道にとっても又意外だった。


「ソナタと玄丞殿しか知らぬ?」



(コクッ!!



雪が軽く頷(うなづ)いた。

そして言った。


「父と私しか。 この私でさえ父が大道様達を迎え撃ちに出で立つまで存じておりませんでした」



実は・・・



妖一族は千年前の蛮娘の件以後、妖という名を捨てていたのだ。

というのも妖を名乗っていればそこから里が知れ、何時(いつ)何時(なんどき)破瑠魔が襲って来るかも分からないからだった。

又、雪が破瑠魔の名を知らなかったのは、いくら妖の名を捨てていても破瑠魔の名を知っている者がいるとそこから足がつく危険性があるからだった。

妖は破瑠魔の恐ろしさを知っていた。

特に、破瑠魔人道の恐ろしさを。

破瑠魔無道を一瞬にして仕留めてしまったあの破瑠魔人道の底知れぬ恐ろしさを、妖は良く承知していたのだ。

従って妖は千年前、一族の間から破瑠魔と妖の記憶を一切捨てる事を決めたのだ。

魔王権現の名も又同じ理由で魔王明神と変えられた。

ただし、一族の歴史はキチンと伝えなければならない。

従って、妖の頭領のみが代々一子相伝で秘密裏に妖の名を残して来ていたのだった。



妖 玄丞は今回の出陣前、密かに雪に次のように語っていた。


「雪。 これはソナタが十六になった時に教えるつもりでおったのじゃが。 何とのぅ此度(こたび)の戦(いくさ)は嫌な予感がする。 ただならぬ相手じゃ。 此度の相手はただならぬ相手じゃ。 ワシには分かる。 何とのぅ予感がある。 従って今、ソナタに伝えておく事にする。 ワシら重磐外裏の者達の本当の名を。 良いか雪。 良〜く聞くのじゃ。 我等の本当の名を。 良いか雪。 我等の本当の名それは・・・妖じゃ!!


雪が聞き返した。


「あ、や、し?」


「そうじゃ。 妖じゃ。 詳しい事は戻ってから話す。 じゃが良いか。 これは誰にも他言無用じゃ。 良いな。 妖の名はソナタの胸一つにのみ収めて置くのじゃぞ。 良いな雪。 くれぐれも内密にしておくのじゃゾ」


「はい。 お父上様」


これがその時の妖 玄丞とその娘・雪の会話だった。







つづく