#216 『三年後』の巻



― それから三年後 ―


重磐外裏の尾根をユックリと歩く、一人の雲水(うんすい=旅の修行僧)の姿があった。

雲水が立ち止まった。

そこはなだらかなスロープを描く重磐外裏の尾根にあって、一ヶ所だけ不自然に削り取られたような所だった。


その雲水はまだ年若い青年僧だった。

だが、その眼(め)は既に悟りの境地に達していたのであろうか、穏やかで済んだ実にいい眼をしている。

しかしその眼の奥にはただならぬ眼力を有していた。

それは恐らく誰の目にも明らかだったろう。

大柄(おおがら)で威風堂々(いふうどうどう)、矍鑠(かくしゃく)としている。

寺で生まれ育った坊主というより出家した武人であろう事は疑いがない。

もっとも、既に剃髪(ていはつ)し、旅僧の姿ではあったのだが。


その僧が静かに周りを見回し、感慨深げにポツリと独り言を言った。


「あれからもう三年・・・か」


そう言うとその僧は被っていたあじろ笠(修行僧の被る笠)の紐を解き、笠を脱いだ。

僧はユックリと顔を上げ、重磐外裏の尾根の不自然に削り取られた山肌を見つめた。

そしてもう一言付け加えた。


「雪殿」


と。


その修行僧は・・・










破瑠魔大道だった。







つづく







#217 『大道の覚悟』の巻



あの妖一族との凄絶な戦いの後、大道は一旦女切刀の里に皆と共に帰った。


そして、暫らくは里にそのまま留まった。

里の復興のためにだ。


と言うのも、

妖同様、女切刀の里もその若い衆(し)全てが死んでしまっていたからだった。

残る男子は、自分を除いては年寄りと子供と赤子のみ。


よって、

大道は里の復興に、さほど長くはなかったが暫(しば)しの間(あいだ)尽力したのだ。


そしてその目星がついた後、家督をまだ元服前ではあったが大道の目に将来有望と映った実弟の破瑠魔善道(はるま・ぜんどう)に譲り、自らは出家僧となった。


それは破瑠魔と妖の悪因縁を一身に背負うと決心し、愛しい雪を斬ったその直後、大炎城結界を結んだその瞬間、覚悟した事だった。


そして三年間修行僧として日本全国を行脚(あんぎゃ)し、終に・・今・・その最後の目的地である重磐外裏の尾根に辿り着いたところだったのである。











最後の因縁切りを行なうために。







つづく







#218 『最後の因縁切り』の巻



大道は不自然に削り取られたような重磐外裏の尾根の一角の適当と思われる処に小さな庵(いおり)を建て、重磐外裏庵(えばんげり・あん)と名付け、自らを守雪院大円常導師(しゅせついん・だいえんじょう・どうし)と号した。


それは、そこで、その場所で、一千日間掛ける 『千座の修法』 を行ずるためだった。


千座の修法・・・


その本尊は勿論、魔王権現。

その脇士(わきじ)として、千手(せんじゅ=地獄道)・聖(しょう=餓鬼道)・馬頭(ばとう=畜生道)・十一面(じゅういちめん=修羅道)・准胝(じゅんてい=人間道)・如意輪(にょいりん=天上道)の六観音を、これは六道供養(ろくどう・くよう)のために。

更に、結界尊として軍荼利明王(ぐんだり・みょうおう)を。

そして、秘密修法主尊として孔雀明王(くじゃく・みょうおう)を。

夫々(それぞれ)配置した。

これらは全て大道自ら、それぞれ長さが30センチ程の木片に刻んだ物だった。


大道はそこで一千日掛けて、妖の姫御子・雪並びに妖一族の御霊鎮め(みたま・しず・め)、破瑠魔と妖の一切(いっさい)の罪障消滅(ざいしょう・しょうめつ)、そして自らの因縁解脱(いんねん・げだつ)という大因縁切り(だい・いんねん・ぎ・り)を行なうつもりだったのだ。


そして、たった一人で五穀を絶ち、殆(ほと)んど眠る事なく一日中大門扉が閉じた方角に向き、蓮華座を組んで座し、手に仙人行(せんにんぎょう)である持明仙法(じみょうせん・ほう)主尊である孔雀明王(くじゃく・みょうおう)秘密印を組み、口にその秘密真言を上げるといった過酷な荒行を続けた。


これがナ、ナント!?


一千日の長きにも及んだのである。


そしてその一千日目、この千座の修法を終えた直後、大道は伝書の術を用い女切刀の里から元服間もない弟・善道(ぜんどう)を呼び寄せ、庵の側(かたわら)に深い穴を掘り、そこに木棺(もっかん)を埋め、自らその中に入り、蓮華座を組み、蓋をし、その上から善道に土を掛けさせた。


ナ、ナゼだ大道!?


何のためにそんな真似を?


生きながら自らをミイラに変えるという・・・


“即身仏(そくしんぶつ)の行(ぎょう)”


を修するため・・・・・・か!?


・・・・・・?


そぅだ!?


最後に大道は即身仏の行に入ったのだ。


それは実弟善道立会いの下、その中で入定するまで断食し、鐘を鳴らしながら経典を上げ続けるという過酷なものだった。


そして大道が即身仏の行に入ってから丁度百日目、それまで微(かす)かにではあるが聞こえていた地中の大道の声が聞こえなくなった。

鐘の音と共に。


終に大道、即身仏となった瞬間である。


しかし大道はナゼまだ元服間もない弟善道を呼び寄せたのであろうか?


それは自らの大往生を善道に直(じか)に見せる事により、降魔(ごうま)の家系に生まれた者の生き様(ざま)を言葉ではなく、大道自らがミイラ仏になるという確固たる覚悟と断固たるその実践で教え諭したのだった。


この時、善道まだ齢(よわい)十五(じゅうご)。

しかし、誰一人介添えを付ける事なくたった一人で兄大道に従った。

善道には分かっていたのだ。

兄大道の覚悟と決心は揺らぎない物だという事が。

その大道の最後を見届けるべき者は自分以外にはいない、という事をチャンと理解していたのだ。

そして大道同様善道も又、大道最後の百日間、殆んど一睡もする事なく自らも鎮護国家法(ちんごこっか・ほう)・諸魔降伏法(しょまごうぶく・ほう)主尊である大元帥明王(だいげんすい・みょうおう)秘密印を組み秘密真言を上げ続けた。

大道と呼応するかのように。


それが善道が見せた、


『兄大道から譲り受けた家督を守るのみならず、破瑠魔を、女切刀を、一族をも守ってみせる』


という覚悟であり、決心の証(あかし)だった。


それを言葉ではなく行動で、

天に、地に、そして兄大道に示したのだ。

そして大道入定(にゅうじょう)と同時にその満行とした。


即身仏・大道・・・


これが愛(いと)しい雪を斬った時、何等(なんら)疚(やま)しい所のないの者達を焼き殺した瞬間、大道が心に決めた自らの決着のつけ方だったのだ。


即ち、


自ら進んでミイラ仏になるという 『即身仏の行』。


それこそ大道が、最後に自らの命を賭(と)して行なった大因縁切りだったのだ。


そして今、それを見事成就したのである。











弟・破瑠魔善道立会いの元に・・・







つづく







#219 『即身仏』の巻



解説しよう。



即身仏とは・・・


ミイラ仏とも言う。


衆生済度(しゅじょう・さいど)、あるいは衆生救済(しゅじょう・きゅうさい)を願い、自らに難行苦行を果たし、その結果としてミイラになった修行者の事を言う。


そしてこの即身仏に成るためには、以下の二つの段階を経なければならない。


『木食修行(もくじき・しゅぎょう)』 と 『土中入定(どちゅう・にゅじょう)』。


この二つだ。



先ず、


木食修行とは・・・


これは次の段階の土中入定のための準備段階といっても良く、米・麦・粟・黍(きび)・豆・・・といった五穀十穀(ごこく・じっこく)を断ち、木の実等を食して命をつなぎながら体内の水分・脂肪・・・を徐々に落としてゆき最終的に生きたまま略(ほぼ)ミイラ化する段階である。



次に、


土中入定とは・・・


地面に深さ大凡(おおよそ)3メートル程の穴を掘って石室(いしむろ)を築き、そこに木棺を収め、その中に呼吸用の予(あらかじ)め節(ふし)を刳(く)り貫いた竹筒と木食修行を終えた行者が生きたまま入って埋められ、そこでその行者は断食すると同時に鐘を鳴らしながら経典を読誦(どくじゅ)し、鐘の音が地上に聞こえなくなった時点で入定したと認められ一旦掘り出され、再度埋められ、一千日後に再び掘り出される。

この時点でその肉体は完全にミイラ化しているのだそうだ。


このミイラ化した行者を即身仏というのである。




善道は大道入定後、大道の遺体を一旦掘り出し、再度埋め、一千日後再び掘り出し、完全にミイラ仏に姿を変えた兄大道に、炎の戦士・大道に相応(ふさわ)しく朱色の衣を纏(まと)わせ、守雪院大円常導師という大道の号から取って 『大雪花院大火炎乗大道師(だいせっかいん・だいかえんじょう・たいどうし)』 と贈名(おくりな)し、重磐外裏庵(えばんげり・あん)と命名された庵(いおり)に安置した。







外道外伝 “妖女(あやしめ)” 第二部 「雪女の秘密編」 完