#121 『予感』の巻
(ブチッ!!)
それまで履いていた雪の下駄の鼻緒(はなお)が切れた。
『ハッ!?』
雪は驚いた。
突然の出来事に表情が暗くなった。
この状況で鼻緒が切れたのだ。
良い筈がない。
雪は嫌な予感がしたのだ。
大道が急いで懐から手ぬぐいを取り出し、それを適当な幅に裂き、
「雪殿。 ワシの肩に手を掛けるのです」
そう言った。
そして、
素早くしゃがみ雪の足から鼻緒の切れた下駄を脱がせ、今裂いた手ぬぐいの切れ端で間に合わせの鼻緒を作った。
「これで大丈夫。 形は悪いが、当座の役には立つでしょう」
そう言いながら立ち上がった。
「・・・」
雪は無言で、
片足立ちになるため体が不安定にならないよう、言われた通りに大道の肩に掛けていた手をのけた。
「では雪殿。 中へ」
「・・・」
しかし雪は動こうとはしなかった。
それどころか顔が真っ青で、何かに怯えているようだった。
「雪殿!!」
大道が急(せ)かせた。
大道も焦っていたのだ。
予感があったからである。
本殿の中に入れば失った記憶が・・・
それが何だったのか思い出せそうな予感が。
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つづく
#122 『本殿に』の巻
ジッと押し黙って動きたがらない雪の手を取ると、まるで引っ立てるように大道は強引に雪を本殿の階段の前に押しやった。
「さ、雪殿。 ワシを本殿に入れて下され」
如何(いか)に豪傑大道とはいえ、流石(さすが)に他所様(よそさま)の神社本殿、ましてや総鎮守の。
勝手に入るのは気が引けていた。
雪はまだ鼻緒が切れた不吉な予感から立ち直ってはいなかった。
「やはり。 やはり、大道様。 中にお入りになるのは止めた方が・・・」
だが、大道の気持ちは揺るがない。
かたくなに懇願した。
「・・・」
それを言葉ではなく、眼(め)で。
その眼を見て雪は諦(あきら)めた。
如何(いか)に強く説得しても、
どれほど固く断っても、
大道の気が変わる筈がないと。
渋々下駄を脱ぎ、素足で階段を上り始めた。
大道も又、下駄を脱ぎ、続いた。
その階段は13段階段だった。
結構な高さの本殿だ。
上りきるとそれ相応の広さの濡縁(ぬれえん)があった。
その上で一芝居うてそうな位の。
大道を従えて雪が、
(スタスタスタスタスタ・・・)
本殿の閉じられたままの引き戸に近付き、
(カチャ!!)
懐から鍵を取り出し錠前を開けた。
大道はそれを見て、
『オャ!?』
っと思った。
「雪殿はいつも鍵を?」
「はい。 ここは先祖代々当家が。 そして先程申し上げた理由で・・・。 今は、この私(わたくし)が預(あず)かっております故」
「そうですか」
(スゥーーー)
雪が静かに引き戸を開けた。
名工の手による建物であったに違いない。
引き戸は音もなく滑るように開いた。
本殿に向かい深々と一礼し、敷居をまたぎ、先ず雪が中に入った。
「さ、大道様」
振り返って雪が言った。
再び、
表情を強ばらせ緊張した面持ちでジッと本殿内部に視線を向けている・・・
大道に向かって。
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つづく
#123 『そこには・・・』の巻
「ウム。 かたじけない」
大道は雪に軽く一礼し、そして神殿に深々と頭を下げてから敷居を跨(また)いだ。
本殿の中は大道が想像していたよりも遥かに広かった。
優に100畳位ありそうだ。
否、それ以上かも知れない。
中はガランとしており、かなり日持ちのしそうな極太の蝋燭(ろうそく)が4本立ってはいるが燈(とも)されてはおらず、他に明かりはない。
入って来る光と言えば今開けてそのままになっている引き戸からのみ。
そのため薄暗い。
加えて、
天井も高い。
普通の民家の軽く3倍はありそうな高さだ。
所々にその高い天井を支える太い柱がある以外、敷居の全くない造りだった。
床は全て板張りである。
(カタッ!! スゥ〜)
雪が小窓を一つ開けた。
小窓といっても畳半畳分位(たたみ・はんじょう・ぶん・ぐらい)の大きさはあった。
するとそれまでが嘘のように本殿の中が明るくなった。
きっと光の差込具合が良く計算されて建てられているに違いない。
大道は中を見回した。
先ず目に付いたのが玉垣(たまがき)だった。
神界、俗界を隔てる意味があるのであろうか?
通路遮蔽用(つうろしゃへいよう)の玉垣が衝立(ついたて)のように置かれている。
こちら側から見てその直ぐ後ろには、長さが三尺(さんじゃく)位ありそうな八脚案(はっきゃくあん)が二つ並べてあり、その上には立派な榊(さか
き)の差してある榊立てとお神酒(みき)や供物(くもつ)等の乗った三方(さんぽう)が五つ、それに大小の御祓(おはらい)用の幣束(へいそく)が一つずつ置かれていた。
その後ろには、畳半畳以上(たたみ・はんじょう・いじょう)の大きさの厚畳台座(こうじょう・だいざ)が設置されている。
他に目に付いた物といえば、ズーっと奥の方に大きな鏡が。
それが見事な龍と雲の彫り込まれた大きな台座の上に乗っている。
その鏡の大きさは優に一尺以上ありそうだった。
その奥に三柱(みはしら)の御幣(ごへい)が切られている奉幣台が見える。
それらが二段八脚案の前段に鏡、後段に奉幣台の順に安置されている。
そういった普通、神社に見られる道具は全て揃っていた。
しかし普通、神社には見られない物が一つあった。
それは厚畳台座の奥に・・恐らくそこで火を焚き上げるのであろう・・密教の護摩壇(ごまだん)を思わせる四角い大きな祭壇が置かれていたのだ。
その祭壇は多分北向きで、東・西・北に当たると思われる面が一見、綱に見える縄が張られている。
注連縄(しめなわ)であろうか?
そして南面に当たる場所に置かれている厚畳台座に導師が座り、護摩修法のように火を焚くに違いないと思われた。
その四隅に一本ずつ、先程見た極太の蝋燭が立っている。
そして更に、鏡と御幣の直ぐ後ろには、仏教寺院にあるような厨子(ずし)に似た形の大きな社(やしろ)があった。
その高さはおおよそ一間半(いっけんはん)、幅半間(はば・はんげん)チョッと、といったところだろうか。
それは厨子に形は似ていたが着色はされておらず、白木のままだった。
その社の扉は開かれていた。
そこには豪華な御簾(みす)が掛けられていて中は良く見えなかった。
その中には何かが安置されているようだった。
それが御簾を通して微(かす)かに見えた。
それを大道は神像(しんぞう)と予想した。
「雪殿。 社(やしろ)の中の物が見たい」
ジッと神像らしきものを見つめたまま雪には一瞥(いちべつ)もくれず大道が言った。
それに対して雪は、
「それはなりませぬ」
と・・・・・・本当はそう言いたかった。
が、
しかし・・・
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つづく
#124 『社(やしろ)の正面に』の巻
『こうなってしまった以上、最早何が起きても驚きはすまい。 これもきっと明神様(みょうじん・さま)のご意志』
既に雪は心に固くそう決めていた。
(スタスタスタスタスタ・・・)
雪は黙って何も言わず玉垣(たまがき)に近付くと、
(スゥ〜)
手を伸ばし、八脚案(はっきゃくあん)に乗っている御祓(おはらい)用の小さい方の幣束(へいそく)を手に取り、両手でそれを恭(うやうや)しく掲(かか)げ、その状態で一度ユックリと頭(こうべ)を垂(た)れ、再び体を起し、先ず自分の身を祓った。
そして恭しく幣束を元に戻してから社(やしろ)に向かって姿勢を正し、二礼二拍手一礼(にれい・にはくしゅ・いちれい)した。
そして今度は大きい方の幣束を先程同様両手に取り、恭しく掲げ、頭を垂れ、クルリと振り返った。
そこには大道が立っていた。
その大道をその幣束で、
(バサッ!! バサッ!!)
左に振り、右に振り、合計二度祓った。
大道も心得ていた。
その間雪同様、深く頭(こうべ)を垂れていた。
雪は大道を払い終えるとやはり恭しく幣束を元に戻した。
それから再び、社に深々と一礼した。
そして通路遮蔽用(つうろ・しゃへい・よう)の玉垣の間から中に入り、その社に近付いた。
雪同様大道も社に深々と一礼し、その後に続いた。
雪が御簾を巻き上げるため、社(やしろ)の向かって右側に置いてあった小さい台に乗った。
そして両手を伸ばし、御簾を上げ下げするための白くて細いが丈夫そうな紐(ひも)を掴(つか)んだ。
大道は社の中が良く見えるように一歩、雪の横に足を踏み出した。
そこは丁度、社の正面になる位置だった。
社から2、3歩程離れた・・・
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つづく
#125 『神像』の巻
(スルスルスルスルスル・・・)
御簾(みす)がユックリと上がり始めた。
雪が社(やしろ)の向かって右側に立ち、側(かたわら)に置いてあった台に乗り、両手で御簾を上げ下げするための白い紐(ひも)を掴(つか)み、その紐を引き始めていたからだ。
大道は神像の収まっている社から2、3歩程離れた位置にいて、その正面に立っている。
先ず、台座が見えて来た。
それは緑を基調に赤、白、黄色等が鮮やかに着色されていて、寺院などでよく見られる仏像の台座である蓮華座(れんげざ)に似た造りだった。
次に神像の両足先。
素足だった。
それは真っ白に着色されている。
ここまでで、
この神像は丁寧に彫られた木彫りで色鮮やかに着色されていて、年代物ではあるが着色された塗料は全く色褪(いろあ)せてはいない。
という事が良く分かった。
それから着ている衣(ころも)が見えて来た。
それは白衣(びゃくえ)だった。
それが裾(すそ)から始まり、徐々(じょじょ)に上に上がって行く。
くすみ一つ見られない綺麗な白だ。
腰まで来た。
腰にはやはり衣と同じ白で着色された帯が彫られている。
その帯は見事な細工で力強く腰に巻かれているように彫られていた。
腰のやや上に掌(てのひら)を上に向けた状態で肘をアルファベットのL字型に曲げ、前方に伸ばした左腕と左手が見えて来た。
この時点でその腰つき、体のバランス等からその神像は直立した女神像(じょしんぞう)である事が分かった。
そしてその左手は足同様、着ている白衣(はくい)より更に白く着色されている。
手は開いていた。
その上には表面が金箔で綺麗に箔押しされた箱を載せている。
大きさは、広辞苑位の厚さの普通版の辞書サイズといったところか。
それが真っ白い手の上で眩(まばゆ)く輝いていた。
だが、この箱には一箇所だけ不自然な所があった。
この箱には閂(かんぬき)で留める錠前のような物が付いているのだが、その閂部分がない。
つまりそれはこの箱はかつて、少なくとも一度開けられた可能性がある事を示していた。
それを見て、
「ン!? この箱は・・・」
大道が思わず口走った。
雪がチョッと手を止めた。
「それは萬奴羅(ばんどら)の箱」
「萬奴羅の箱?」
「そぅ。 この世の全ての邪悪を封じ込めたと言い伝えられている萬奴羅の箱」
「全ての邪悪を?」
「はい。 全ての邪悪を。 魔界の主(ぬし)さえも・・・。 言い伝えに寄れば魔界の主、冥府魔道主(めいふ・まどう・しゅ)さえもその中には封じ込めてあるとの事」
「・・・」
大道は分かったような、分からなかったような顔をして黙ってその言葉を聞いていた。
雪が手を動かし始めた。
直ぐにカタカナの “レ” の字型に曲げた右肘先(みぎひじさき)が見えて来た。
そのやや上に胸から握りこぶし一つ半位前の所に、手首を斜めにして拳を強く、しかし少し開き気味に握っている右手があった。
恐らく始めは何かを掴(つか)んでいたのだが、何時の間にかそれがなくなった。
大道の目にはそう映った。
そしてそれが言葉になった。
「この右手は不自然じゃ。 何かを掴んでいたように見える」
雪が手を止めた。
「言い伝えに寄れば元々は太刀を・・・」
「太刀を?」
「はい」
そう言ってから、雪が御簾を上げ始めようとした。
が、一瞬思い止まった。
既に御簾は、女神像の顎先まで上がっている。
理由は分からないが、それ以上御簾を上げるのを雪は躊躇(ためら)っている。
大道はそんな雪の方に顔を向け、眼(め)を見据え、軽く顎をしゃくって早く上げるよう促(うなが)した。
それでも雪はまだチョッと躊躇っている。
だが、
諦めたのだろう・・・?
大道に促され意を決した。
というよりも、
自分自身を納得させ得心したという風に、
『ゥン』
軽く頷(うなづ)き、
雪が御簾の紐を一気に引いた。
(ズサッー!!)
音を上げて御簾が上まで上がった。
『ハッ!?』
その瞬間、大道は驚愕した。
大道は見たのだ、そこにある “ある物” を。
そぅ・・・
確かにそこにある “ある物” ・・・
を。
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つづく