#281 『ベビィベッド』の巻



外道は泣かなかった。

目を覚ましただけだった。


内道は死頭火を抱く手の力を抜いた。

死頭火も力を抜いた。

死頭火がユックリと内道から離れた。

そして外道の寝ているベビィベッドに近付こうと振り返った。


その瞬間、


『ハッ!?


驚いて立ち止まった。


内道も、反射的にベビィベッドを見た。


『ハッ!?


死頭火同様驚いた。


満一歳にも満たない筈の外道が、

首が据わってからまだそれほど経ってはいない筈の外道が、

ヒョッコリと頭を擡(もた)げたのだ。


そして、



(ジィー)



内道を見つめたのである。


内道の眼(め)をジッと。

動こうともせずに、

泣こうともせずに、

瞬(まばた)き一つせずに。


ただ・・・











ひたすらジッと・・・







つづく







#282 『外道の反応』の巻



『外道。 強くなるんだぞ』


内道は瞬(まばた)き一つせずにジッと自分を見つめている我が子外道に、この言葉を投げ掛けた。

勿論、

声なき声で。

心の声で。


その瞬間、内道は驚いた。

内道が心の声で言葉を投げ掛けた瞬間、



(コクッ)



外道が頷いたのだ。

否、

頷いたように見えた。

内道には確かにそう見えたのだ。


見つめ合う内道と外道。

それを遮(さえぎ)らないようにソッと外道に近寄る死頭火。

外道が視線を移す。

その先にいるのは死頭火。



(スゥー)



死頭火が両手を差し出して外道を抱き上げた。

そのまま外道を抱きしめた。

背中を内道に向けたまま。


それを見て、



(クルッ)



内道も死頭火に背を向けた。

そして言葉を掛けた。


「死頭火」


と、一言。


外道を抱いたまま、振り返らずに死頭火が答えた。


「はい」


と、一言。


「・・・」


「・・・」


二人はそれ以上喋(しゃべ)ろうとはしなかった。


沈黙が続く、暫(しば)しの間。


その沈黙を内道が破る。

振り返る事なく、死頭火に向けて。

一言ハッキリ、


「外道を頼む」


と。


死頭火が答える。

振り返る事なく、内道に向けて。

一言キッパリ、


「はい」


と、だけ。



(ギュッ)



死頭火が外道を抱く手に力を込めた。

その時、微(かす)かにではあるが死頭火の体が小刻みに震えていた。

死頭火は振り返りたかったのだ、本当は。

しかし、

出来なかった。

溢れる涙で濡れた瞳を内道に見せたくなかったのだ。


これから決戦の場に赴(おもむ)かなければならない夫内道。

戦う相手は女切刀呪禁道1400年最強の敵・雪女。

そして、

その雪女と壮絶な死闘を演じる事になるであろう愛する夫内道に、今、死頭火は不吉な涙を見せたくなかったのだ。


だから死頭火は外道を抱きしめた。

振り向く代わりに抱きしめた。

最愛の人に涙を見せぬために。


だが、

それは内道も同じだった。

愛しい妻、死頭火。

掛け替えのない我が子、外道。

この二人を後に残し、決戦の場に行かねばならない。

そしてそこは死地になるかもしれない。

その思いから内道も又、振り返る事が出来なかったのだ。


その時死頭火同様、内道の瞳も又・・・


曇っていたのである。











涙で・・・







つづく







#283 『段取りの確認』の巻



「予定の刻限じゃ。 今一度、段取りを確認しておく。 皆の者、良く聞くのじゃ。 良いな」


と、中道が言った。


ここは、女切刀の里の中央部にあるこの里の鎮守、魔王権現を祭る大社の神楽殿脇(かぐらでん・わき)。

神楽殿と言っても、床の替わりに大相撲の土俵のように盛り土をしているだけで屋根もない。

その盛り土で出来た舞台の中央に護摩壇は設置されていた。

柴灯護摩(さいとう・ごま)形式だ。

本尊は不動明王。

その前には神剣・軍駆馬(いくさかりば)が置かれている。


中道が続けた。


「これより阿闍梨(あじあり)内道による護摩修法を開始する。 式次第(しきしだい)は調伏護摩(ちょうぶく・ごま)。 その対象は雪女。 つまり雪女調伏護摩じゃ。 これにより雪女の注意を引き付け、誘き寄せる。 ヤツは必ず調伏護摩に感応してここに、この女切刀にやって来る。 そこを神剣・軍駆馬を持った内道と選ばれた戦士13人が待ち伏せる。 そして内道が雪女と一騎打ちで戦い、これを打ち倒す。 内道が勝てばそこまで。 じゃが、もし万が一、内道が敗れた場合、残った13人で女切刀に結界を張る。 1人が1佛、合わせて13佛。 即ち13佛の結界、壁城結界(へきじょう・けっかい)じゃ。 これにより雪女を女切刀の里に封じ込める。 最後に我等女切刀の住人全員で女切刀消滅技である重裏虚(エリコ)の術を掛ける。 掛けるは大重裏虚(だい・エリコ)。 大重裏虚とは、我等全員で里の周りをユックリと1日かけて1周する。 コレを七度(しちたび)繰り返し合計7周する。 そして7周し終わった直後ワシが火南の角笛(カナン・の・つのぶえ)を吹く。 それを合図に全員一斉に声を揃えて女切刀消滅呪文(めぎと・しょうめつ・じゅもん)を叫ぶ。 女切刀消滅呪文、それは 『バルスメギト』 じゃ。 良いな 『バ、ル、ス、メ、ギ、ト』 じゃ。 くれぐれも間違えるでないぞ。 これにより雪女を女切刀の里ごとこの世界から葬(ほうむ)り去る。 以上じゃ。 良いな皆の者。 この手順じゃ。 くれぐれも間違いのないようにな」


「ハハァー」


「ハハァー」


「ハハァー」


 ・・・


全員が承諾した。


中道が内道に歩み寄った。


「内道、これで良いのじゃな? 本当にこれで良いのじゃな?」


「はい」


孟是(もうぜ)達も近づいて来た。

皆で内道を囲んだ。


孟是が聞いた。


「内道君。 他にワシ等に出来る事があったら言ぅてくれ」


「親父殿、孟オジ、それから皆さん。 死頭火と外道をお願い致します」 


それを聞き、


「ウム」


「ウム」


「ウム」


 ・・・


皆が強く頷いた。


孟是が内道の両肩に自らの両手を置き、その眼(め)をジッと見つめた。

孟是の目頭が熱い。

そして意を決するかのように頷きながら言った。


「ウム。 心得た。 じゃが内道君・・・」


だがここで一旦、言葉が途切れた。 

胸が一杯で声が出ないのだ。

それを何とか搾り出して続けた。


「勝ってくれ、内道君。 ・・・。 否、勝つのじゃ、必ず勝つのじゃ!!


これに刺激され皆が一斉に更に内道に歩み寄り、声を掛けた。


「そぅじゃ、内道様。 必ず勝つのじゃ!!


「そぅじゃそぅじゃ。 負けてはならぬ。 内道様きっと勝つのじゃ!!


「そぅじゃそぅじゃ。 内道様。 きっと勝って下され」


 ・・・


と、口々に。











その時・・・







つづく







#284 『掟』の巻



(ツヵツヵツヵツヵツヵ・・・)



外道を抱いた死頭火が内道に歩み寄った。

死頭火の気配を感じ、孟是が内道から離れた。

その孟是に死頭火が、一旦、外道を預けた。

孟是が外道を抱いた。

死頭火が内道の方に向き直った。

羽織の袖に入れていた火打石(ひうち・いし)を取り出した。

両手に一つずつそれを持ち、内道に向けて、



(カチッ、カチッ、カチッ)



3度、火を打ち出した。

これ即ち、武運の呪(まじな)い。


死頭火が3度目を打った時、あたかもそれが合図ででもあったかのように中道が、



(サッ!!



右手を高々と上げて言い放った。


「下山開始!!


と。


「オォー!!


「オォー!!


「オォー!!


 ・・・


掛け声と共に、中道を筆頭に皆が一斉に下山を開始した。

当然、この中には外道を抱いた死頭火もいる。

死頭火は外道が振り返らないように外道の頭を胸の谷間に強く押し付けていた。

苦しい筈だが外道はピクリとも動かない。

我慢している。

外道は外道なりに何かを感じ取っていたのだ。

そうしなければならない何かを。

そして、

行列の殿(しんがり)は孟是だった。

皆、顔を引き締め、口を真一文字に結び、無言のまま一列になって下山して行く。

後に、内道と13人の戦士達を残して。

一言も発する事なく。

全く振り返る事なく。


それも又、掟だったのだ。











大重裏虚の術の・・・







つづく







#285 『決戦前』の巻



内道は中道一行の後(うし)ろ姿を見ていた。


一行の向かう先は魔王権現大社の中にある隠し通路。

女切刀と下界を結ぶ出入り口はその隠し通路のみ。


里人達が内道の視界から、中道を筆頭に一人ずつ大社の中に吸い込まれるように消えて行く。

次々に一人ずつ。

外道を抱いた死頭火も消えた。

長老達も順次消えた。

そして、最後の一人孟是が消えた。

それを内道は黙ってジッと見つめていた。


全てを見終わった。



(クルッ!!



内道が振り返った。

直(すぐ)に、その場に残っている13人の内の法螺貝(ほらがい)担当者に目配せをした。

それが合図だった。



(プィッ、プィッ、プォーーー!! プィッ、プィッ、プォーーー!! プィッ、プィッ、プォーーー!!



高らかな法螺の音が女切刀の里中に3度響き渡った。


その音は中道達の耳にも入っていた。

だが、

誰一人振り向く事はなかった。

皆、掟に従っているのだ。

決して振り返ってはならないという掟に。


続いて、



(ドーン。 ドーン。 ドーン。 ドーン。 ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン・・・)



太鼓担当者が、直径一間(ちょっけい・いっけん)はあろうかと思われる極大大太鼓(ごくだい・おおだおこ)を打ち始めた。



(ビシビシビシビシビシ・・・)



それは辺りを、女切刀を、女切刀の里中を震撼させる。


瞬間、


内道と13人の戦士達全員の顔が引き締まった。

皆、眼光鋭く顔を紅潮させている。

気分が高調しているのだ。


ここを以って終に、雪女調伏護摩は開始されたのである。


時に、


決戦開始30分前の・・・











出来事であった。







つづく