#26 『秀吉の不安』の巻




「ユックリお休みになれましたかな? 破瑠魔殿」


客間から出て来た外道に秀吉が聞いた。

秀吉と大河内はズ〜ッとリビングにいたようだった。


「お陰様で。 始めはあのような超豪華なベッドでは寝付けないかなとも思ったのですが、ナンのナンのとても寝心地良く、お陰でぐっすり眠れました」


「そうですか。 それは良かった」


「いゃ〜。 それにしても素晴らしいと申しますか? 物凄いと申した方が正しいか? ナンと見事な屋敷ですなぁ。 我々庶民には想像も出来ない」


「いやいや、お恥ずかしい」


「大したもんです」


「いやいや、何と申しましても子供の頃からの夢でしたから。 この屋敷は」


「ウ〜ム。 お見事」


「有難うございます」


「ところで話は変わりますが。 先程、ナナさんと一緒にいるとみんな眠ってしまうと申されましたな?」


「はい」


「ならばココにいると眠らずに済みますかな」


「さぁ? それは分かりません」


「ん? 分からない?」


「はい。 と申しますのも、例の時間にここにいた事がございません」


「無い?」


「はい。 ワシと大河内はその時間ワシが玄関、大河内が裏口。 夫々(それぞれ)眼を光らせておりますもので。 もしナナが屋敷の外に出ようものなら大変な事になるので。 もっとも、先程ご覧になられましたように井戸には警備の者を付けてはおりますが」


「そうですか。 (チョッと考えてから) 私は今夜、ここにいて様子を見るつもりです。 お二方はどうされますかな?」


「破瑠魔殿がココにいて下さるんなら、我々もご一緒させて頂きます。 宜しいでしょうか?」


「もちろん」


「有難うございます。 (大河内に) オィ!! 玄関と裏口には誰か家の者を」


「畏(かしこ)まりました。 直ぐ手配致します」


「ウム」


大河内が部屋から出て行った。

それを横目で見送ってから外道の方に向き直って秀吉が聞いた。


「さて、破瑠魔殿。 そろそろお考えをお聞かせ願えませんでしょうか?」


「エッ!? 考え!? ・・・。 あぁ、考えですか」


「はい」


「考えは〜。 ・・・。 特には」


「エッ!?


「あ!? いやいや。 そ、そのですなぁ。 先ず例の観音様とやらを見てみない事には始まりませんので。 話はそれからです」


「そ、そうですか。 と、特には無いのですか・・・」


外道の 『考えは〜。 ・・・。 特には』 という返事を聞き、チョッピリ不安な・・・











秀吉であった。







つづく







#27 『午前2時』の巻




(ボーン、ボーン)



柱時計が午前2時を告げた。


『2時だ!?


外道は思った。

そして条件反射的に座っていた主賓(しゅひん)の座から立ち上がろうとした。

その時、



(ブルッ!!



先程、井戸で感じたのと同じ悪寒が外道の全身を走った。

そして、



(ガクッ!!



危うく倒れ込むところだった。

突然の睡魔に襲われたのだ。

それはまるで地の底から腕が、

そぅ、

腕だけがギューンと伸びてきて外道の体を引っつかみ、恐るべき強さで奈落の底迄引きずり込む。

そういった感覚だった。


外道初めての経験である。


「ウッ!?


テーブルに両手を着け全身全霊の力を込めて外道は踏み止まった。

しかし、事は外道が椅子から完全に立ち上がりきらず脚が屈曲した状態で起こっていた。

だからバランスを崩し、右膝が殆(ほとん)ど床に付きそうな所まで崩れ落ちてしまった。

外道が歯を食い縛って踏ん張っている。



(プルプルプルプルプル・・・)



力を込めた全身の筋肉が震える。

だが、引っ張る力は衰えない。


否、


益々強くなる。

そして、


『ね、眠い!? い、異様に眠い!?


強力な引力、加えて襲い掛かって来る睡魔との闘い。

床に膝(ひざ)を着いたら眠ってしまう。

つまり、今、気を抜いたらそのまま一気に睡魔に屈してしまう。

直感的に外道はそれを理解した。

この間、ほんの数秒。

しかし外道にとっては気の遠くなる程長い時間だった。


引っ張る力が更に強くなった。


危うし外道!?


一体、外道は・・・











どうなってしまうのか〜〜〜!?







つづく







#28 『結界』の巻




(ガクッ!!



終に外道・・・“堕(お)つ!!”


と、


思われた次の瞬間、


「キェ〜〜〜ィ!!


気合一閃(きあいいっせん)、外道が立ち上がった。

間髪(かんぱつ)を入れず


“結界(けっかい)” 


を張った。

殆(ほとん)ど外道、本能的に取った行動だ。


そして、


“外道の張った結界”


それは、


“地結(ちけつ)” 並びに “四方結(しほうけつ)”。



即ち・・・



両手で “金剛けつ印” を組み、

胸の前で大地にエネルギーの楔(くさび)を打ち込むように観念しながら、3回ユックリと下方を押す。

その時同時に、


「オン・キリキリ・バザラ・ブリツ・マンダマンダ・ウン・ハッタ・!! オン・キリキリ・バザラ・ブリツ・マンダマンダ・ウン・ハッタ・!! オン・キリキリ・バザラ・ブリツ・マンダマンダ・ウン・ハッタ・!!


と、真言三唱。



次に、


両手を “金剛墻印(こんごうしょう・いん)” に組み換え、

胸の前で四方位(東西南北)にエネルギーの防御壁を張り廻らせるように観念しながら、時計回りに3回ユックリと廻す。

その時同時に、


「オン・サラサラ・バザラ・ハラキャラ・ウン・ハッタ・!! オン・サラサラ・バザラ・ハラキャラ・ウン・ハッタ・!! オン・サラサラ・バザラ・ハラキャラ・ウン・ハッタ・!!


と、真言三唱。


コレ即ち、 


『軍荼利明王(ぐんだり・みょうおう)』 の印と真言なり。




解説しよう。



金剛けつ印”とは?


両掌を胸の前で下向きに広げ、左手を上にする。

次に、

左右の親指、人差し指、小指を夫々(それぞれ)付ける。

そして、

左右の中指を左は右手の、右は左手の人差し指と中指の間に挟みこむ。

さらに、

左右の薬指を左は右手の、右は左手の小指と薬指の間に挟みこむ。


これが金剛けつ(地結)である。



金剛墻印(こんごうしょう・いん)”とは?


両掌を胸の前で手前向きに広げ、右手を手前にして重ねる。

次に、

左右の人差し指と小指の先を夫々(それぞれ)付ける。

そして、

左右の中指を左は右手の、右は左手の人差し指と中指の間に挟みこむ。

さらに、

左右の薬指を左は右手の、右は左手の小指と薬指の間に挟みこむ。

この時、

左右の親指は、人差し指の根元に付けて置く。


これが金剛墻(四方結)である。



『軍荼利明王(ぐんだり・みょうおう)』とは?


読者諸氏には聞きなれない名前かも知れない。


軍荼利明王とは “密教(みっきょう)” の五大明王(ごだいみょうおう)五尊中の一尊であり、

“仏部(ぶつぶ)”、 “金剛部(こんごうぶ)”、 “蓮華部(れんげぶ)”、 以上 “胎蔵三部(たいぞうさんぶ)《密教では二つの宇宙観を持つ。 即ち、金剛界(こんごうかい)と胎蔵界(たいぞうかい)。 しかしこの二つは夫々(それぞれ)別物では無く、表裏の関係にあると考えられている》”、 の弁事明王(べんじみょうおう)にして南方宝部(なんぽうほうぶ)の “忿怒身(ふんぬしん)”、即ち “教令輪(きょうりょうりん)”。



教令輪とは?


簡単に言えば、

如来(にょらい)を “自性輪身(じしょうりんしん)”、

その如来変化(へんげ)の菩薩を “正法輪身(しょうぼうりんしん)”、

その如来大忿怒(だいふんぬ)の明王を “教令輪身(きょうりょうりんしん)”

と言う。

これらを夫々(それぞれ)、 “自性輪(じしょうりん)”、 “正法輪(しょうほうりん)”、 “教令輪(きょうりょうりん)” と言っても慣例上意味は同じ。



軍荼利とは梵語であり、その意味するところは 『甘露(かんろ)』、あるいは 『安楽』 等となる。


この明王は、別名 『大咲(たいしょう)明王』、 『吉利吉利(きりきり)明王』、 『甘露明王』 等の名で呼ばれ、

良く、疫病をもたらす 『毘那夜迦天(ビナヤカ・てん)』 即ち、インドの魔性の集団 “ビナヤカ族” の王でガナバチ(時にガネーシャ)、つまり、 『大聖歓喜天』 (俗に言う『聖天さん』)、これを調伏(ちょうぶく)する。 《聖天さんは、仏教に帰依する前は悪い奴だったのだ》


又、

ヨガの一派に “クンダリーニ・ヨガ” なる物があり、その “クンダリーニ” の象徴がこの 『軍荼利明王(ぐんだり・みょうおう)』 である。

と、言う者もいる。


さらに、


“結界の主尊であり、如何(いか)なる者もこの明王の結界には近付けない”


とも言われている。




この “軍荼利結界” により、


外道は何とか踏ん張って眠気を振り払い、

その状態から体勢を立て直した。

そして、

大急ぎで秀吉と大河内を見た。


秀吉は、



(バタッ!!



主人の座でテーブルにうっ伏(ぷ)している。

眠っているようだ。

グォーグォーと大鼾(おおいびき)を掻(か)いている。


大河内はといえば、



(ドサッ!!



床に倒れこんでやはり秀吉同ようグォーグォー状態だ。


『き、来たか!? そ、それにしてもナンと強力な!!


外道は驚いていた。

圧倒的な敵の力に。

それは外道の予想を遥かに上回っていたのだ。


と、


その時・・・







つづく







#29 『観音経』の巻




「せーそんみょうそうぐ がーこんじゅもんぴ ぶっしがーいんねん みょういかんぜおん ・・・」

(世尊妙相具 我今重問彼 佛子何因縁 名為観世音 ・・・)


ナナの声だ!?


突然、ナナの部屋から微(かす)かにではあるが “観音経の偈文(かんのんきょう・の・げもん)” を暗誦するナナの声が聞こえて来た。


直ぐに、


「ぐーぜいじんにょかい りゃつこうふーしーぎ じーたーせんのくぶつ ほつだいしょうじょうがん ・・・」

(弘誓深如海 歴劫不思議 侍多千億佛 発大清浄願 ・・・)


その声は徐々にではあるが大きく成り始めた。


「けーしーこうがいい すいらくだいかきょう ねんぴーかんのんりき かーきょうへんじょうち ・・・」

(假使興害意 推落大火坑 念彼観音力 火坑変成池 ・・・)


益々、大きくなって来た。


まるで、 

目の前にナナがいて、その読経する声を聞いているようだ。

その位デカくなった。


ナナの部屋の広さ、ドアの厚さ、及び外道の今いる位置を考えるとかなりの声量という事になる。



(ビリビリビリビリビリ・・・)



窓ガラスが小刻みに揺れている。

これだけの豪邸の窓ガラスだ。

当然ペアグラス。

あるいはトリプル。

否、

もっと頑丈な特注品かも知れない。

その窓ガラスが小刻みに、しかし激しく揺れている。

ナナの声に共振して。


「わくざいしゅみーぶ いーにんしょーすいだー ねんぴーかんのんりき にょにちこーくうじゅう ・・・」

(或在須弥峯 為人所推堕 念彼観音力 如日虚空住 ・・・)


声は・・・どんどんデカくなる!!


それは到頭(とうとう)、


“世界的ソプラノのサラ・ブライトマンやカンツォーネの女王ミルバが、今、外道の目の前で大声で歌っている”


というレベルにまで達した。

信じられない声量だ。

どう考えても人間が出せる域を遥かに越えている。

確かにナナの声に間違いないのだが。



(カタカタカタカタカタ・・・)



今度は家具が揺れ始めた。

屋敷の床までがナナの声に共振し始めたのだ。


『こ、この声!? ホ、ホントにあの娘の声か!? そ、それとも・・・』











外道は思った。







つづく







#30 『ヤツ』の巻




『ヤツか!?


素早く外道はナナの部屋に近付いた。


そして、



(カチャカチャカチャ・・・)



急いでドアノブを何度か回した。

が、

開かない。



(カチャカチャカチャ・・・)



もう一度やってみた。

しかし、

同じだった。

鍵が掛かっているのだ。

内側から。

さっきは掛かっていなかったのに。


「わくちーおんぞくねう かくしゅーとうかがい ねんぴーかんのんりき げんそくきーじしん ・・・」

(或値怨賊繞 各執刀加害 念彼観音力 咸即起慈心 ・・・)


想像を絶した凄まじい読経(どきょう)の声は、止む気配が全く無い。


揺れは益々大きくなる。

部屋全体。

そして屋敷そのものが揺れ始めた。

まるで小刻みに揺れ続ける地震のように。

そしてその揺れは終に、震度5の大地震の時の50階建て超高層マンション最上階プレミアムグレード・ルームの揺れに匹敵するまでになった。

そのクラスの震度が報告された時の振幅は1メートルともそれ以上とも言われているが、その震度5の大地震による最上階プレミアムグレード・ルームのあの揺れに匹敵するまでに今、屋敷はなっていた。

体のバランスを取るのが難しい。

何か手すりのような物にでも捕まっていなければ立っているのが不可能な程だ。


外道は身を翻(ひるがえ)し、激しい揺れの中、這うようにして近くで床に寝そべってグォーグォー大鼾(おおいびき)を掻(か)きながら気持ち良〜く寝ている大河内に近付くと、


「大河内さん、大河内さん!! 起きて下さい、大河内さん!!


大河内の体を大きく揺すって起こそうとした。

しかし、

無駄だった。


起きない!?


大河内は一見、気持ち良さそうにグッスリと眠っているように見えるが実際は病的な眠り。

そぅ、

何か強い薬物でも与えて眠らせたかのような、


“病的な眠り”


に堕ちていた。


次に外道は、あの長テーブルの主人の座で眠っている秀吉の下へ今度はテーブルを伝(つた)うようにして近付き、同じ事をした。

だが、

秀吉も又、大河内と全く同じ状態だった。


「わくしゅーきんかーさー しゅそくひーちゅーかい ねんぴーかんのんりき しゃくねんとくげだつ ・・・」

(或囚禁枷鎖 手足被柱械 念彼観音力 釈然得解脱 ・・・)


相変わらず、凄まじいデカさのナナの声が屋敷中に響き渡っている。

それに共振して、



(グラグラグラグラグラ・・・)



激しく屋敷が揺れている。

外道は何とかバランスを保ちながらもヨタヨタと、再びナナの部屋のドアのある所に急ぎ戻った。











そして・・・







つづく