死人帖(しびと・ちょう) ― the Last 'R'ule ― #146



「思うに、不良は何らかの伝(つて)でこの場所を知った。 恐らくかつてここに来た事があったのだろう。 そしてあの空間の歪みを知った。 あるいは知っていた。 それとあの亀裂もだ。 そしてお前達の相談に乗ると決めた時、ヤツはこの場所を利用する事を考えた。 あの空間をだ」


上崎の顔を見ながら、再び外道は歪んでいる空間を指差した。


上崎が聞いた。


「何のためにでしょう?」


「分からんか?」


「はい」


「死人帖とやらが機能するのは何処(どこ)だ?」


「人間界です。 この世界です」


「なら、この世界以外ならどぅだ?」


「ハァ? どぅいう事でしょう?」


「この世界以外にいる者にはどぅかと聞いている。 機能するのか?」


「ハァ? あの〜、申し訳ございません、仰(おっしゃ)る意味が・・・」


「では言葉を変えてやる」


「・・・」


「異次元ではどぅだ?」


「異次元? 異次元ですか? そのような物が果して存在・・・」


『ハッ!?


上崎の表情が変わった。

何かに気付いたのだ。

それを見て外道が言った。


「分かったようだな」


「はい」


横から亀谷が上崎に聞いた。


「なんスかぁ。 何が分かったんスかぁ?」


上崎が、今、外道とのやり取りの中で気付いた事を説明し始めた。


「こぅいう事だと思いますょ、亀谷君。 不良さんのなさろうとしていた事は」


「どぅいう事っスか?」


「はい。 不良さんは5分前という事に随分と拘(こだわ)っていらっしゃいましたネェ。 それが何を意味するのかは分かりません。 もしかすると先程破瑠魔さんの仰ったその空間の亀裂と何か関係が有るのかも知れませんし、あるいは不良さんが言っておられた破瑠魔さんの勢いに関する事かもしれません。 これはご本人に聞かなければ・・・」


「そぅっスネ」


「そして死亡予定時刻になった」


「はい」


「破瑠魔さんの念力波が飛んで来た。 不良さんはそれを受けた瞬間、我々には見えないその亀裂の中に飛び込んだ。 そして死を免れた。 R が死ななかった所を見るとそぅでしょう。 そして予定の時刻に不良さんが死ななかった以上、死人帖はキャンセルされなければならない。 不良さんそして R が死ななかったからには、確かにそぅならなければならない。 しかしならなかった。 同時に死神も死ななかった。 ナゼでしょう?」


「ナゼでしょう?」


「それは恐らく、例外・・・」


「例外?」


「そぅです。 不良さんは予定時刻に予定通り破瑠魔さんの念力波を受けた。 ここまでは死人帖に書かれた通りに進行しました。 でも、その後が違った。 不良さんは自らが死ぬ時間、死期となるはずだった正にその瞬間、この世界を離れるという凡(およ)そ誰にも考え付かない方法で死人帖のルールを破った。 そして恐らく死を免れた。 否、回避してしまった。 だが、死の予定時間・・・ジャストその時、不良さんは死人帖が機能する世界にはいなかった」 


「フムフム。 成る程成る程」


「たぶんかつてこのような方法で死人帖がキャンセルされた事はなく、今回不良さんが行なった行為はルールの想定された範囲を越えていた。 つまり想定外だった。 しかし間違いなくその想定外の事が起こってしまった。 ルールにない事が起こってしまった以上、ルールは通用しない。 そのため死神は消滅せずに存在したまま、しかし機能は停止した。 恐らく死人帖も消滅しなかったが、機能は停止していると思われます」


「なら、 R は? R はどぅなっちゃうんっスか?」


「それは私にも分かりません」


上崎が外道を見た。


「どぅなのでしょうか、破瑠魔さん?」


「それは俺にも分からん。 だが、分かる事が一つある」


「ハィ?」


「不良が生きて再びこの世界に返って来れば、恐らく R は無事。 死神と死人帖はその時点で消滅」


亀谷が聞いた。


「何でそぅ成るって言えるんっスかぁ?」


「分からんか?」


「はい。 全然」


「上崎はどぅだ」


「分かりました」


「なら、お前の口から教えてやれ」


「はい」


上崎が亀谷に言った。


「死人帖のキャンセル条件を満たす事になるからです」


そしてこうも、


「死人帖に名前を書き込まれた人間が、その予定時刻を過ぎても尚、死人帖の機能するこの世界に生存している事になるからです」


「アァー!! 成る程成る程。 分かりまし・・・。 アッ!? それならもぅルールを破っている人が一人いるじゃないっスかぁ、一人」


R ですか?」


「そぅそぅ、 R っス」


「いや、この場合 R の生存は死人帖に何の影響も与えません」


「ナ、ナゼっスかぁ?」


「分かりませんか?」


「はい。 ぜーんぜん。 ナゼっス?」


「死人帖の機能を停止させたのは不良さん。 違いますか?」


「そぅそぅ。 そぅっスそぅっス」


「なら、死人帖が機能を停止したのはいつですか?」


「アッ!?


「分かったようですネ」


「ウムウム」


亀谷が頷いた。


「そぅです。 死人帖が機能を停止したのは R 死亡予定時刻の1分前」


「と、いう事は・・・」


「はい」


上崎はここで一旦言葉を切った。

一呼吸置いた。

そして言った。


R の死。 それは・・・今・・・











保留状態にあると思われます」







つづく





死人帖(しびと・ちょう) ― the Last 'R'ule ― #147



『遅い!?


不良の消えた空間を見つめながら外道は考え込んでいた。


それを知ってか知らずか、亀谷がボソッと言った。


「それにしても遅いっスネ、不良さん」


上崎が相槌を打った。


「そぅですネェ、確かに遅いですネェ」


外道、上崎、亀谷、そして雪の4人共皆、不良の消えた空間を見つめている。


その時、



(ガサッ!!



4人の背後から音がした。



(サッ!! サッ!! サッ!! サッ!!



4人が同時に振り返った。

皆こう思っていた。


『ヌッ!? 不良か!?


『不良先生!?


『不良先生!?


『あのおじさん!?


と。


だが、


「ゃー、いたいた。 皆さんここにおいででしたか」


大河内だった。

遅ればせながら、大河内が4人に駆け寄って来ていたのだ。


「いゃー、何ともはや年寄りにこの坂道はきつい」


そして外道と雪に頭を深々と下げ、手にしていたハンカチで汗を拭き拭き詫びを入れた。


「いやはや、いやはや。 破瑠魔様。 雪様。 どうぞお許し下さい。 不良様の強いお達しでお二方を騙すような真似を致しました事を。 ナナお嬢様の命の恩人であらせられる破瑠魔様、それに未(いま)だ女学生でおられる雪様にあのような・・・。 いやはや、いやはや。 誠に以ってなんとお詫び申し上げればよいやら・・・」


「あぁ。 いいんだ、大河内さん。 事情はこの二人から聞いた。 役目とはいえ、アンタも大変だったなぁ」


「あ、有難うございます、破瑠魔様。 そぅ仰って頂けると。 はい」


「ウン、そぅだょ。 アタシも気にしてないから」


「ぉーぉー!? なんとお優しい。 雪様にもそう仰って頂けると・・・。 誠にかたじけなく存じますです。 はい」 


暫し平身低頭した後、大河内が辺りを見回した。

そして聞いた。


「あの〜、不良様は? 不良様は何処(いずこ)に?」


外道が答えた。


「それが・・・。 ヤツの行方はまだ分からんのです」


「お時間が経ちましてから如何程(いかほど)でございますか?」


「そぅだなぁ、かれこれ小1時間といったところか」


「そぅでございますか。 それはチト遅ぅございますなぁ」


大河内が今度は上崎に聞いた。


「上崎様。 R というお方はどぅされました。 ご無事でございますか?」


「はい。 お陰様で R は無事でした」


「そぅですか。 それは宜しゅうございました。 ならば・・・」


そう言って大河内は、着ている燕尾服の内ポケットに右手を突っ込んだ。

そして一通の封筒を取り出した。

それを外道に差し出した。


「破瑠魔様。 どぅぞこれを。 不良様からです」


「不良から?」


外道がそれを受け取った。


「はい。 もし、この作戦終了後に不良様がお戻りになられなかった時に、破瑠魔様にお渡しするようにと仰(おお)せつかっておりました」


外道が封を切った。

中から手紙を取り出した。

それを広げた。

そこにはこう書かれてあった。


「破瑠魔。 今、お前がこれを読んでいるという事は・・・」











から始まって・・・







つづく





死人帖(しびと・ちょう) ― the Last 'R'ule ― #148



 破瑠魔。


 今、お前がこれを読んでいるという事は、この計画が失敗に終わり俺が既に死んでいるか、あるいはまだ未知の空間を俺が彷徨(さまよ)っているかの二つに一つだろう。 お前達二人を巻き込んで済まないと思っている。 だが、他に方法がなかったのだ。 なにしろ相手が相手だからな。 まぁ、悪く思わないでくれ。 それに雪とかいったな、あの恐ろしい娘(むすめ)にも宜しく伝えてくれ。 それとお前の事だからナゼ俺がこの場所を選んだかは、既に分かってくれているとは思うが念のために言って置く。 ここは昔、重磐外裏(えばんげり)と呼ばれていた所だ。 不思議な場所だ。 数年前、俺は日本中を廻(まわ)り薬草を集めていた。 日本のこの豊な自然の中で育った植物は、恐らく世界で最も優れているであろうからな。 それに日本人にはやはり日本で育った物が一番のはずだからだ。 そうこうしている内に、たまたま俺はこの場所に辿り着いた。 そしてその空間を知った。 どのようにして生じたのかは分からない。 しかしその空間の歪と亀裂。 それを見た瞬間俺は分かった。 そこはこの世界と未知の世界とを隔てる壁であり、亀裂はその通り道だとな。 そして今回の依頼を承諾した時、即座に俺はその亀裂を利用しようと思った。 だが、その亀裂はあまりにも小さい、小さ過ぎる。 もっともお前の念力波を受け、今は如何(どう)なっているかは分からんが。 だからその亀裂を広げる必要があったのだ。 そのためには強力なパワーが必要だった。 だが、残念ながら俺にはそんなパワーを生む技はない。 そこでお前の登場だ。 しかし、如何(いか)にお前のあの念力技の持つパワーが凄まじいといっても、正直、平時に放った物が果して俺の思惑通りにあの亀裂を広げる事が出来るか否(いな)か分からなかった。 それで今回のような手の込んだ大芝居を打ったのだ。 そして俺がお前に追い詰められその恐るべき娘を俺が本気で殺しにかかれば、間違いなくお前は全力であの念力波を放つに違いないと俺は踏んだ。 破瑠魔。 お前はとっぽいヤツだ。 だが、間違っても人殺しをするようなヤツじゃない。 しかし、その娘を守るためならお前は必ずあの念力技を使うはずだ。 ナゼなら俺がその娘を殺そうとして放つ殺気は半端じゃないからだ。 その殺気を感じたお前はきっと俺を人間ではなく妖怪の類と思うに違いない。 そうすれば、必ずお前はあの念力技を使う。 そしてそのパワーは間違いなく亀裂を広げる。 俺はそれに賭けた。 そうだ。 俺はそれに命を懸けたのだ。 破瑠魔。 俺にはお前のような動の技はない。 だが、ある静の技を俺は使う事が出来る。 それが如何(どう)いう物かは明かさないが、間違いなく俺はある静の技を使う事が出来る。 そしてそれを使い、お前のエネルギーを利用し、俺が死ぬはずの正にその瞬間俺はこの世界を離れ未知の世界に入る。 それがどんな所かは分からないが必ずあの亀裂を通れば入れるはずだ。 そして時空を超越する事により死人帖のルールとやらを打ち破り、死神・苦竜を殺す。 ヤツのやった事は人間なら万死に値する大罪だ。 数多くの人間の命を弄(もてあそ)んだのだからな。 それは決して許されるべき事ではない。 例え神であろうともだ。 だから俺は苦竜を裁く事にした。 俺は容赦なく死神・苦竜を裁く。 思うに、これは天が死神に与える容赦なき警告なのだ、人間の命を弄(もてあそ)ぶなと言う。 最後に、俺が無事この世界に戻った時、この作戦は完了する。 以上だ。


あの恐ろしい娘に宜しく言ってくれ。


不良孔雀


これを読み終え外道は鼻先三寸(はなさき・さんずん)でせせら笑った。


「フフン」


って。


そして独り言を言った。


「ナ〜ニが 『とっぽいヤツだ』 だ。 それはオメーだろ」











って。







つづく






死人帖(しびと・ちょう) ― the Last 'R'ule ― #149



「何て書いてあったの?」


外道が不良の手紙を読み終えたのを見て、雪が興味深げに聞いた。


「あぁ。 雪に宜しくって」


「エッ!? 雪に」


「あぁ、そぅだ。 ま、大した事は書いちゃいない。 フン。 相変わらず高ビーなヤツだ。 エッラそぅに」


そのやり取りを横目に、亀谷が小声で上崎に聞いた。


「で、上崎さん。 これから俺等(おれら)どしたらいいんっスっかネ」


「さぁ、困りましたネェ」


R はどぅなっちゃぅんっスっかネ。 あの〜、ですょ。 あの〜、もし不良さんが戻んなくって異次元の世界ですかぁ、何か良く分かんないっスヶどアッチの世界で、あの〜、こんなこたぁ、言いたくないんっスヶど、あの〜、もし死ぬような事になったらどぅなんっちゃぅんっスっかネ R は?」


「死ぬでしょうネェ、たぶん」


「やっぱ?」


「はい。 死人帖も死神も消滅していない以上、機能が停止しているに過ぎず。 不良さんの生命活動が停止すればその時点で全てが元通りになるんじゃないでしょうかネェ。 だとすれば当然、 R の命はない。 ま、そぅ考えて置くのがいいんじゃないでしょうか。 R は大丈夫だと楽観的に考えるよりは」


「そ、そ、そぅっスょネ。 やっぱそぅ考えるのが。 しっかし、一体どぅすれば・・・?」


その時、


二人の耳に声が聞こえた。

知っている声だ、男の。


その声はこう言った。


「俺が行く」


と。


声の主は、誰あろう外道だった。


「エッ!?


「エッ!?


「エッ!?


「エッ!?


上崎、亀谷、大河内、そして雪は驚いた。

外道の言った言葉の意味が分からなかったのだ。


雪が聞いた。


「行く!? 行くって何処へ?」


「不良の後を追う。 そして連れ帰る、生きたままな。 ヤツは俺の百歩雀拳をかわすつもりでいたようだが、かわし切れてはいない。 手応えが有った。 間違いなく俺の百歩雀拳はヤツの体をヒットしている。 だからヤツは今傷ついているはずだ。 そのため戻って来られなくなっているに違いない。 恐らくヤツがよける時、何か計算違いが有ったんだろう」


「アッ!? それってもしかして雪があのおじさんの手噛んじゃったからかも・・・」


「エッ!? 雪、お前不良の手噛んだのか?」


「ウン。 噛んじゃった。 思いっきり」


「それだ!! お前に噛まれたら俺だって・・・。 並みのヤツじゃ、とてもとても、恐らく不良もお前に噛まれる事は計算外だったんだろう。 そぅかそれでか。 なら、ますます俺が行かなきゃならなくなった」


それを聞き、雪が外道の腕を両手で力一杯掴んだ。

今し方とは打って変わり、顔色が真っ青で表情が真剣だ。

そして叫ぶように言った。


「ダメー!! 行っちゃダメー!! 何が有るか分かんないから、行っちゃダメー!!


「だがな、雪。 ここでこぅしていても埒が明かん。 俺が行かなきゃ・・・」


外道の言葉を遮り、再び雪が叫んだ。


「でも、ダメー!! 行っちゃダメー!! 先生にもしもの事があったら雪・・・。 前もガマガエルの化け物に食べられちゃいそぅになった時だって。 あの時、雪、心配で心配で死にそぅだったんだょ。 だからダメー!! 行っちゃダメー!!


その腕を振り払い、両手で雪の両肩を掴み、雪の右目をジッと見つめて外道が語り掛けた。


「いいか、雪。 おれはそのガマガエルとの戦いで死に掛けたんだ。 死ぬ所だったんだ。 だが死ななかった。 ナゼだか分かるか?」


「分かんない」


「不良のお陰だ。 九死に一生を得たのはヤツの、不良のお陰なんだ。 もし不良がいなかったら、ヤツの的確な治療がなかったら、恐らくあの時俺は死んでいただろう。 だから俺はヤツに借りがある。 その借りを俺はヤツに返さなきゃなんないんだ。 それを今返さないで何時(いつ)返すんだ?」


「・・・」


雪は黙った。

外道も黙った。


雪は見つめている外道の目を。

外道も見つめた雪の目を。


その時、



(ピュ〜〜〜!!



二人の側を一陣の風が吹き過ぎて行った。


そして、


外道に両肩を抑えられたまま両目を大きく見開いている雪が。

瞬き一つせずに外道の目を見つめている雪が。



(スゥ〜)



ユックリと両手を上げ、両掌を軽く外道の胸に当て、外道の目を見つめたまま言った。


「なら、雪も一緒に行く」


即座に外道が退(しりぞ)けた。


「ダメだ」


「ダメじゃないモン。 一緒に行くモン」


瞬間、外道の顔が引き攣った。

鬼の形相に変わった。

雪の両肩を掴んでいる手に力を込めた。

そして厳しく雪を叱責した。


「聞き分けのない事を言うな!!


「ヤダょー!! 雪も一緒だょー!!


外道が厳しく雪に言い聞かせた。


「雪、良く聞け。 これは遊びじゃないんだ。 あの亀裂の向こうには何が待ってるか分からないんだ」


外道は一旦言葉を切った

一息入れた。

そして語調を変え、諭(さと)すように続けた。


「ハッキリ言う。 お前は邪魔だ。 お前がいると足手まといになる。 だからおとなしくここで俺の、否、俺達の還りを待っていてくれ」


「・・・」


雪は黙った。

それまでの真剣な表情から一転、悲しい顔に変わった。

目が潤んでいる。

雪は、たった今外道に言われた 『邪魔』、 『足手まとい』 という言葉が悲しかった。



(ツゥー)



雪の目から涙が溢れ出した。

そして外道の胸に飛び込んだ。

両手を外道の体に回し、強く抱きついた。


「ェッ、ェッ、ェッ、・・・」


静かに泣き始めた。

外道の胸に顔を埋め、声を殺して雪が泣いている。

その姿から雪の外道への深い想いが伝わって来る。


上崎、亀谷、大河内の3人が言葉なく何も出来ずに外道と雪を見ている。

二人に掛ける言葉が見つからなかった。

ただ黙って見守っている事しか出来なかった。


外道がソッと雪の体を抱きしめた。


「ェッ、ェッ、ェッ、・・・」


声を殺して雪が泣いている。



(ギュッ!!



外道が雪を抱く手に力を込めた。

そして静かに言った。


「雪。 お前をここに残して行くのにはもう一つ訳がある」


「・・・」


雪は外道の胸に顔を埋めたまま、泣き声を押し殺して外道の言葉を聞いた。


「お前がここにいてくれないと俺はこの世界に帰れないかも知れない」


「エッ!?


雪が顔を上げた。

泣き声を噛み殺し、目に涙を浮かべたまま外道の目を食い入るように見つめた。

目を通して外道の心の中を読み取ろうとするかのように。

その雪の目をジッと見つめ、外道が優しく語り掛けた。


「俺にとってお前は標識なんだ。 灯台なんだ。 俺とお前は何人(なんぴと)たりと言えども絶対に干渉出来ないほど強い絆(きずな)で結び付いている。 それは切っても切れない。 否、切れる訳がない。 なにせ俺の体の中にはお前のエネルギーが入っているんだからな」


外道は一瞬、自らの左肩に右手を置いた。

無意識に過去の古傷に触れたのだ。

外道がまだ幼子だった時に付いた古傷に。

次にその手を動かし、歪んだ空間の亀裂を指差した。


「だから、あの向こうに何があって、例へどぅなっていようと関係ない。 お前がここにいてくれさえすれば、迷う事なく俺はコッチに戻って来れるんだ。 お前という目印が有るんだからな。 お前という確かな目印がここに有るんだからな」


「・・・」


目に涙を浮かべたまま外道の目を見つめ、何も言わずに雪は聞いている。

外道もジッと雪の目を見つめていた。

そして・・・


「ここにいてくれるな・・・雪? 俺のために」


雪が覚悟を決めた。


「ウン」


声を絞り出して頷いた。


雪のその姿を見て、


「フッ」


外道は笑った。

そして雪の目を見つめたまま肩の力を抜き、



(スゥ〜)



両手を上げ、雪の両頬を包むようにして軽く触れた。

両親指で雪の頬(ほほ)を伝っている涙をソッと拭(ぬぐ)った。

それから優しく言った。


「そぅだ。 それでいい」


そのまま二人は見つめ合った。

互いの思いを確認し合った。

暫(しば)しその状態が続いた。


外道が顔を上げた。

先ず、上崎の顔を見た。

次に、亀谷の。

最後に、大河内。

そして言った。


「この娘(こ)を頼む」


それまで固唾(かたず)を飲んでどうなる事かとハラハラしながら二人を見守っていた3人が、外道と雪に近付いて来た。

外道が雪の体から手を引いた。

雪はその場でジッと動かず、瞬(まばた)き一つせず、外道の目を見つめたままだった。

もう涙を流してはいない。


上崎が言った。


「確かに。 雪さんは我々がお預かり致します」


亀谷も。


「任せて下さい」


大河内はいつになく張り切っていた。


「破瑠魔様。 ご安心下さい。 この年寄り、命に代えても雪様をお守り申し上げます」


ニッコリ笑って外道が大河内に言った。


「ウム。 それは心強い」


ここで大河内が外道に聞いた。


「しかし破瑠魔様」


「ン!?


「その亀裂なる物の中で、不良様をお探しになる当てはお有りなのですか? もしもすれ違いにでも成ってしまったら・・・」


「あぁ、その心配は無用だ。 不良の体には間違いなく俺のエネルギーが付着しているはずだ。 だからそれを目当てにヤツを探し出す」


「そんなに上手く・・・?」


「あぁ。 そんなに上手くだ、心配ない」


「そぅですか。 それをお聞きして安心致しました」


「では、大河内さん。 上崎、亀谷」


「はい」


「はい」


「はい」


最後に外道はもう一度雪を見た。


「雪。 ・・・。 行って来る」


そう言って、



(クルッ!!



外道が4人に背を向けた。

それから外道と雪にしか見えない亀裂に向かって歩き出した。

力強く、確かな足取りで、且、素早く。


その外道の向かった先にある不良が消えたと思われる亀裂は、丁度、高さが2メートル位の女性器のような形だった・・・











緩(ゆる)んだ時の。







つづく






死人帖(しびと・ちょう) ― the Last 'R'ule ― #150



「先生!!


雪が外道に駆け寄った。



(クルッ!!



外道が振り返った。



(ドン!!



雪が外道の胸に飛び込んだ。

雪はもう泣いてはいなかった。

そして真剣な眼差しで外道の目を見つめ、縋(すが)るようにして言った。


「帰って来てネ!! 絶対帰って来てネ!!


「あぁ」


「約束だょ!! 約束だょ!!


「あぁ。 約束する」



(フッ)



ニッコリと外道が笑った。

右手の人差し指の先で軽く雪の鼻先をチョメした。

それは外道が無意識で行なった雪に対する愛(いと)おしさの感情表現だった。


それから外道は両手で雪の体を優しく押した。



(クルッ!!



再び雪に背を向け、歩き始めた。

そしてそのまま亀裂の中に足を踏み入れた。


外道は追ったのだ。

未知の空間に消えた不良孔雀の後を。

自らのエネルギーを道標(みちしるべ)として。

間違いなく不良の体を捉(とら)えている自らのエネルギーをその道標として。


外道の消え行く後ろ姿を雪は黙って見つめていた。

しかし上崎達の目にはそうは見えてはいなかった。



(スゥー)



瞬間、外道が消えた。

3人が雪の脇を通り過ぎて外道が消えた空間付近に駆け寄った。

亀谷がビックリして言った。


「き、消えた。 やっぱ、ここなんかあるんっスネ」


盛んに両手で宙を探っている。


上崎も又、同様だった。


「有るんですネェ、こぅいう事が。 超自然現象ですか? 死神にも驚きましたが、不良さん、破瑠魔さんにもビックリさせられますネェ」


相変わらず宙を手探りしながら亀谷が。


「全く、何でも有りじゃないっスかぁ。 一体、何なんスか、あの人達は。 今なら、突然目の前にゴジラが出て来たって、もぅゼ〜ンゼン驚かないような気さえしまっスょ。 ホ〜ント」


その3人をよそ目に、雪は黙ってジッと外道が消えた空間を見つめている。

それに気付いて大河内が雪に歩み寄った。


「雪様」


「・・・」


雪は相変わらず瞬き一つせず、ジッと一点を見つめたまま黙っていた。


「破瑠魔様はやはり亀裂の中にお入りになられたのですネ?」


「ウン」


一点を見つめたまま雪が頷いた。


「雪様。 ここは少々お寒うございます。 破瑠魔様のお帰り、こちらでお待ちになるよりも宜しかったら私共のお車に。 暖かい物もご用意させて頂いておりますし」


目線を全く変える事なく雪が答えた。


「うぅん、いい。 アタシここで待つ」


「そぅでございますか。 ではわたくしめも。 破瑠魔様からお預かり致しました大切な雪様に、もしもの事がございましたら破瑠魔様に会わせる顔が有りませぬ故」


ここで初めて雪が振り返った。

そして大河内を見た。


「オジちゃんは車で待った方がいいょ、ここ寒いから。 風邪ひいちゃうょ」


「ぉーぉー、ナントお優しい。 雪様はナント・・・。 全く、あのスケベな中年男の破瑠魔様には勿体(もったい)のぅございます」


「エッ!?


「アッ!? ぁ、否、・・・。 さ、流石は・・・い、いずれあの破瑠魔様の奥方様になられるお方でございます。 はい。 ではせめて、毛布と折りたたみ椅子とご用意致しておりますお飲み物を持って参りましょう」


そう言って大河内が来た道を戻ろうとした。

その大河内に亀谷が声を掛けた。


「大河内さん。 良かったら俺っちが行きまっスょ。 丁度、下に止めたヘリん中の荷物取って来なきゃなんないし。 鍵を貸して貰えれば、そのついでに。 この坂道の上り下りは大変でしょう」


「そぅでございますか。 そぅして頂けますと有り難い。 助かります。 でも、本当にお宜しいのでしょうか?」


「モチ」


「では、お言葉に甘えさせて頂きまして」


大河内が燕尾服のポケットから車のキーを取り出した。


「はい。 コレがキーでございます。 車は下の駐車場に置いてございます。 車種は、この間お二方をブルー・シャンティにお連れ致した時とは違い、ロールス・ロイスでございます。 あの時はベンツでしたが。 一目で分かります。 必要な物は全てトランクに入っております」


それを受け取って亀谷が溜め息をついた。


「ふぅ〜。 ロ、ロールスっスかぁ」


そしていつの間にか雪の側まで来ていた上崎に声を掛けた。


「チョッくら行って来ます」


「はい。 そぅして下さい」


上崎が答えた。


亀谷が道を下って行った。

その後ろ姿を見送ってから上崎が、相変わらずジッと外道の消えた空間を見つめている雪に聞いた。


「雪さん」


「ン?」


「亀裂はまだ存在しているのでしょうか?」


「ウン」


振り返らずジッと一点を見つめたまま頷(うなづ)き、雪が空間を指差した。











外道が消えた辺りの。







つづく