#46#50




『神撃のタイタン』 #46




『何だったんだ、今のは・・・』


不良は思った。


しかも、老婆達が消え去ったのその直後、否、同時に、それまで立ち込めていた霧も一緒に消えた。

一瞬にしてだ。

たったの今まで不良の視界を遮っていたあの濃く、深く、暗〜い霧が・・・一瞬にして消えた。

嘘のように。

それも風らしい風は、全くと言っていい程吹いてはいないのにだ。

そして、いざ霧が晴れてみると辺りはカラッとしたいい天気で、雲一つなく晴れていた。

日差しは眩しかったが、それ程暑いとは感じられない。

恐らく、湿度が低い所為(せい)だろう。

ヨーロッパならではの気候だ。

それともそんな季節なのかも知れない。

それがハッキリしないのは暗燈籠 芽枝(あんどうろう・めえだ)の記憶からだけでは、その場所のその時の季節が何なのかまでは知りえなかったからだった。


不良が空を見上げた。

太陽の位置から判断して、時間は正午を少し回った位か?

初めての場所・・それも日本ではない・・なので確信は持てなかった。

しかし、昼前後であるのは間違いなさそうだった。


「ウム」


気を取り直し、不良が教えられた方角目指して歩き始めた。

周囲を見渡すと遠くに山はあるが、一面、起伏の殆(ほとん)どない野原だった。

そんな風景は日本でも往々(おうおう)にして見られるので、それ程珍しくはない。

だが、一つ。

そぅ、一つ。

日本ではまず見られない、否、全く見られないと断言しても良さそうな日本の景色との違いが一つあった。


それは・・・色だ!?


色合いが全く違うのだ。

景色の色合いが、日本とは。

日本の四季折々、花鳥風月(かちょうふうげつ)を感じさせるあのボンヤリとした淡い色合いではなく、ハッキリとした原色なのだ、見渡す限りその全てが。

野も山も空も・・・その全てが。

真ッ緑、真ッ茶、真ッっ青(まッっあお)・・・といった具合に。


『フ〜ン。 やはりここは日本ではないな』


改めて不良はそう思った。

否、そう感じた。

そして感心しながらも、先を急いだ。

ムーサ達に会うために。

ペガサスを借り受けるために。

目指すは、ヘリコン山。

そこにあるヒッポクレーネの泉。


程なくして川に出くわした。

流れる水の色も日本で見る物とは違って見えた。

水だけに流石に原色とまでは言わないが、今まで不良が見た日本のあちらこちらにある川の水よりも、濃く、深く、それでいて明るく感じられた。

もっとも、周りの雰囲気がそう思わせたのかも知れないが。

それでも日本の川とは若干、趣(おもむき)が違うのは否(いな)めなかった。


その川は流れが激しく、大きかった。

するとそこに一人の杖を突いた粗末な身なりの老婆が、ジッとその川の水面を見つめ、佇(たたず)んでいた。

不良が立ち止まってその老婆の後ろ姿を眺めていると、



(クルッ!!



不意に老婆が振り返った。

老婆と不良の目が合った。


「丁度良かった、お若いの・・・。 ワシを助けておくれではないかぇ?」


老婆が不良に聞いて来た。


「ん?」


「ここに橋があったはずなんじゃが、いつの間にかのぅのぅてしもぅた。 どうしてもワシはこの川を渡りたいんじゃが渡れず、困っておった所じゃ。 済まんがお若いの、ワシを負ぶってこのアナウロス川を渡ってはくれんじゃろか?」


!?


一瞬、不良は驚いた。

老婆の言ったこの川の名前を聞いて。

アナウロス川というこの川の名前を聞いて。


「アナウロス川!? 婆(ばあ)さん、この川はアナウロス川というのか?」


「あぁ、そうじゃ。 アナウロス川じゃ」


「フ〜ン。 あのグライアイ達の予言もまんざら嘘ではないのかも知れんな」


感慨深げに不良がボソッと呟(つぶや)いた。


「どうなんじゃ、お若いの。 ワシを負ぶってはくれぬのか?」


老婆が少し焦(じ)れた。


「チョッと待ってくれ、婆さん」


そう答えて不良が川岸に歩み寄った。

透き通った奇麗な水の流れだが、激流とまでは言わないまでもかなりの急流だった。

川幅も結構ある。

80メートル位か?

100メートルはなさそうだ。

だが、見た所、泳いで渡る程の深さではない。

膝上か、あっても精々(せいぜい)太もも位までのようだ。

その流れを見ながら不良は思った。


『この流れの速さ。 一人で徒渡(かちわた)るのも大変そうだ。  まして年寄りを負ぶって渡れるものだろうか? 流れに呑まれる危険が・・・』


と、ここまで思った時。


「そんなに嫌か? ワシを負ぶるのが?」


老婆が声を荒げた。

それを聞き、



(クルッ!!



反射的に不良が振り返って老婆を見た。

老婆は怒りの形相露(ぎょうそう・あらわ)だった。


「否、嫌なんかじゃない」


「なら、何じゃ?」


「アンタを無事、向こう岸に送り届けられるか考えていた所だ」


「ワレは何も考えずとも良い。 ただ、ワシを負ぶって渡ればそれで良いのじゃ」


それを聞き、


『こら又、何とまぁ、傲慢なババアだ!?


一瞬、不良はムッとなった。

だが、


『仕方ない、やってみるか』


すぐに気を取り直して言った。


「はいはい。 負ぶってやるよ」


「何じゃ!? その投げやりな態度は!? それに 『はい』 は一度言えばえぇ」


その言葉を聞き、


「フッ」


思わず不良が笑った。

その老婆の余りの傲慢さが却っておかしかったのだ。

不覚にも可愛いとさえ思ってしまっていた。

そして靴と靴下を脱ぎ、靴下をズボンのポケットに突っ込み、靴を履き直し、ズボンの裾を膝上までまくり上げ、地面に右膝を突いて言った。


「良し!! さぁ、来い、婆さん」


それを聞き、ガバッと老婆が不良の背中に負ぶさった。

不良が立ち上がろうとした。











だが・・・







つづく







『神撃のタイタン』 #47




『クッ!? お、重い!?


不良は焦った。

その老婆は普通に小柄のクセに、体重は優に一トンはあるんじゃないかと思われる程重かった。

全く立ち上がれないのだ。


「フン!!


不良が全身に力を込めた。

だが、1センチ 否 一ミリも動く事が出来ない。


「どうした、若いの? 立てぬのか?」


老婆が小バカにして聞いた。

もう一度、


「フン!!


力を込めて踏ん張った。

ありったけの力を込めて。

しかし、


「クッ!?


動かない。


「チッ。 若いくせに、何とだらしのないヤツじゃのぅ」


相変わらず老婆は手厳しい。

不良が押されている。

傲慢さでは誰にも引けを取った事のないあの不良がだ。


『おかしい!? 何かある。 これは罠か? さっきのグライアイといい、このババアといい。 まともじゃぁない。 第一、狙ってあの娘の記憶の中にジャンプしたはずが大きく逸(そ)れている。 ウ〜ム』


不良は思った。


「どうした、若いの? ここまでか? フン」


老婆が鼻で笑った。


「ならこれを支えに使(つこ)ぅてみょ」


そう言って老婆が手にしていた杖を不良に差し出した。


「否、その必要はない」


不良がキッパリと断わった。

そして徐(おもむろ)に、右手をベルトに装着してある小袋に突っ込んだ。

中から何かをつかみ出した。


中から何かを・・・











すると・・・







つづく







『神撃のタイタン』 #48




「フン!!


気合と同時に、スックと不良が立ち上がった。


『ヌッ!?


今度は老婆が驚いた。

不良が見事立ち上がったからだ。


「ホゥ〜。 大したものじゃ。 やりおるのぅ、若いの」


老婆が意外だという表情をし、感心気味に言った。

それから、


「何じゃ、それは?」


と聞いた。

不良の手にしている物を見て。


そぅ。


不良の手にしている物を見て。


その時、不良は、あのパラレルワールドから持ち帰った薙刀(なぎなた)形の武器を手にしていた。

しかし今はそれが薙刀ではなく、細長い棒のような形をしている。

そしてそれに体を預けていた。

右手でそれを持ち、左手で老婆の尻を支えているのだ。

不良はその細長い棒が伸びる力を利用して立ち上がったのだった。


だが、ナゼ薙刀が細長い棒のような形に変わったのだろうか?


その答えは、この細長い棒を形作っている金属 否 正確には金属らしき物に隠されていた。

あの時(#3で)、不良が旅館 『秀吉のゆかた』 近くにある小高い山の中で納得した出来事、その中に秘密が隠されていたのだ。

つまり、この細長い棒は一体どのような原子構造をしているのかは分らないが、それを手にする者の念に応じて変形するという特質を持っていた。

しかも、手にする者のパワーが強ければ強い程その変形率は変わるのである。

それは、不良のようにパワーの強い者が持てばその変形率は計り知れない物があるという事を意味する。

だから不良はこれまでそれを小さく縮めてベルトの小袋の中に収めていて、今それを取り出し、伸ばしたのである。

まるで孫悟空の如意棒のように。

しかも今となってはもう分からないが、もしかするとこの特質はこの武器を作った者ですら気付いていない特質なのかも知れない。

あるいは不良が持っていた能力がこの金属との出会いによって開花した可能性もある。

いずれにせよ、不良とこの細長い棒の相性はベストマッチングだったのだ。

これがあの時(#41参照)、外道に言った所の不良の “秘密兵器” なのだった。


「戦利品だ」


全く感情を入れずに先程の老婆の、


『何じゃ、それは?』


という問いに不良が答えた。


又、

これと同時に、この老婆を負(お)ぶりながら不良は思い出してもいた。

グライアイ達の予言を。

その中でこう言っていた事を。



(ペ) 「お前は会うんじゃからのぅ、あるお方と」


(エ) 「さるお方と」


(デ) 「さる高貴なお方と」


(不良) 「さる高貴なお方?」


(ペ) 「あぁ、そうじゃ。 さる高貴なお方じゃ」


(エ) 「人間ごとき、遠く及ばぬ程高貴なお方じゃ」


(デ) 「人間など目通り適わぬ程高貴なお方じゃ」


(不良) 「・・・」


(ペ) 「そのお方にお前は試される」


(エ) 「試されるんだょ、お前は」


(デ) 「厳しくのぅ」



・・・このやり取りを。


いざ立ち上がってみると歩く事は何とか歩けそうだった。

もっとも、足はプルプル、膝はガクガクではあったが。

しかしこうなってしまった以上、不良にも意地がある。


『こんな婆さんごとき・・・』


不良は思った。

その状態で、


「ウム」


臍下丹田(せいか・たんでん)に “気” を込めた。

そして力強く掛け声を掛けた。


「良し!! 行こうか!!


と。


更にこうも。


「シッカリつかまってろよ、婆さん。 落ちないようにな」











だが・・・







つづく







『神撃のタイタン』 #49




『クッ!? お、重い!? やはり重い。 こ、このまま果たして渡りきれるのか・・・?』


不良は思った。

例えあの棒で体を支えているとはいえ、今背負(いま・せお)っている老婆のその重さたるや計り知れない物があった。

その上、川の流れは速い。

しかも、川底は敷き詰められている石や岩でグラグラし、不安定だ。

しかし、やらねばならない。

一歩一歩慎重に、ユックリユックリすり足で、靴を履いたまま不良が川を渡り始めた。


「・・・」


の間、老婆は何も言葉を発しなかった。


「・・・」


勿論、不良も。

もっとも、不良の場合はそんな余裕は全くなかったのだが。


川は思った以上に深かった。

不良の胸位まであった。

これは嬉しい誤算だった。

というのも、浮力が働き、老婆の体の重さが激減したからだ。


しかし、

その逆もあった。

それは流れの速さだった。

今度はこれに抗さねばならないからだ。

つまり、人、二人分の抵抗力を受けるのである。

それも真横から・・・もろに。

これは辛い。


今・・・


不良は手にしている棒の先端を鋭くし・・つまりピッケル状にし・・それを川底に差し込みながら、それを頼りに川の流れに対抗しながら渡っている。

それでどうにか流れに飲み込まれずにいるのだ。

そしてその状態で、何とか川の中間辺りまでやって来た。

すると、


「大丈夫かい? お若いの」


急に、それまで何も言おうとはしなかった老婆が話し掛けて来た。


「あぁ、何とかな」


不良が答えた。

意地になって。


「知っておるかのぅ、お若いの」


「何をだ?」


「この川の別の名じゃ」


「ん!? 別の名?」


「そうじゃ、別の名じゃ」


「そんな物があるのか?」


「あぁ、ある」


「・・・」


「この川は・・・スティクス川とも呼ばれておるんじゃ」


「スティクス川? 三途(さんず)の川の、あのスティクス川か? 渡し守カロンのいると言われている」


「そうじゃ。 もしこの川の水、その一滴でも口にしようもんなら、即座にこの川はアナウロスからスティクスに変わるんじゃ。 そしたら行く先は永久(とわ)の暗黒の地・・・冥府の主ハデスの司る死者の国になってしまうでのぅ。 じゃからのぅ、お若いの。 決して水を飲んではいかんぞ。 この川の水をのぅ。 決して飲んでは・・・。 ククククク・・・」


老婆が不気味に笑った。


『クッ!? 今頃、言いやがって』


不良は思った。

そして聞いた。


「それはホントの話か?」


「あぁ、本当じゃ。 嘘をついてどうする。 年寄りは嘘はつかん」


「フッ。 どうだか」


「信用せぬら、それでも良い。 じゃが、お前はどうなろうと構わんが、決してワシを落とさんでくれょな」


『何と自己中なババアだ!?


不良が呆(あき)れた。


だが、


そんなこんなで、悪戦苦闘しながらも漸(ようや)く、目的の川岸がハッキリと見える位置まで来た。

そこは反対側と違って土手際間近(どてぎわ・まぢか)まで林になっていた。

それも巨木と言う程ではないが、それぞれの木の幹はかなり太い。


『後、もう一踏ん張りか・・・』


不良は思った。


流れの速さは相変わらずだったが、深さは不良の腰程までになっていた。


!?


腰程までに・・・


!?


いう事は・・・


老婆の重さも又元通りという事に成る。


しかも・・・


不良は、一つ重大な事実を忘れていた。

そぅ、一つ重大な事実を。











それは・・・







つづく







『神撃のタイタン』 #50




“老婆は裸ではなかった”


という事だ。


つまり、老婆は服を着ていたのだ。

温暖なギリシャという土地柄、さほど厚くはないが、決して薄くもない服・・・チュニックを。


と、すれば・・・


当然、チュニックは水を吸い込む。

となれば、老婆の重さはその分増える。


しかも、



(ピュー!!



風だ!?


いつの間にか風が吹き始めている。

それも強風が。

しかも不良にとっては追い風が。

つまり背後から強風が。


『クッ!? お、重い!?


不良は焦った。


ギリギリの状態で670メートル歩いた上、今度は背後からの風圧。

しかも老婆はより一層重くなっている。

状況は悪化の一方。


そんな時、


「ワシを落とさんでくれょな」


そう言って、



(ギュッ!!



突然、老婆がしがみ付いて来た。

この予想外の出来事に不意を突かれ、



(グラッ!!



不良がバランスを崩した。



(ガクッ!!



膝が崩れた。

流れは速い。

抵抗は出来ない。


「クッ!?


必死で不良は踏ん張った。

しかし体勢を立て直せない。

そのまま一気に倒れ込んだ。


『ハッ!?


目の前に川の水が。

これを飲もうものなら一大事。

水面、既に鼻先数センチ。

最早、不良に打つ手なし。


『危うし不良!?


誰しもがそう思わざるを得ない状況。

そして、終に不良の顔が水面に・・・


だが、


正にその瞬間・・・











信じられない事が起こった。







つづく